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カメラは人生を写す鏡そのものかもしれない

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

突然ですが、皆さんは『カメラ』というものを使ったことがありますでしょうか。

 

一昔前までの『カメラ』と言うと、本格的で高額なカメラ、いわゆる「一眼レフカメラ」を想像することが一般的でした。

そのため、”『カメラ』は写真家などの一部の人たちが買って使うもの”として一線を引かれ、一般的には触れることのない存在となっていました。

 

しかし、時代が経ち、様々な機械が便利になっていく中で、『カメラ』も大きな進化を遂げました。

例えば、最小限の機能に抑えて軽量化を図った「コンパクトデジタルカメラ」通称「コンデジ」や、一眼レフとコンデジの中間層の役割を果たす「ミラーレス一眼カメラ」などがあります。

また、これまで固定電話機しかなかった電話機も、ポケベルやPHS(通称”ピッチ”)など誰もが電話機を携帯するように進歩していき、やがては「ガラパゴス携帯」通称「ガラケー」が登場し、いつしか携帯電話機にも『カメラ』が搭載されることになりました。

 

こういった様々な時代の進歩によって、『カメラ』は誰もが触れることのできる身近な存在となり、もはや日常生活において必要不可欠な存在にまでなりました。

その証拠に、今では写真を投稿したり、加工したりするサイトやアプリまで多くありますね。

 

 

さて、そんな誰もが一度くらいは使ったことのあるだろう『カメラ』。

かく言う私も、Twitterの自己紹介文に「写真が趣味」と書たり、ブログやInstagramに度々写真を上げたりするように、わりかし写真をよく撮る方の人間でございます。

とは言っても、そこまで上手いというわけでもなく、『下手の横好き』というやつですがね(苦笑

 

私の写真好きは昔からで、旅行に行く度にデジカメやスマホで風景を収めていました。

そんな写真好きが高じて、なんと去年の6月ごろには『ミラーレス一眼』を買ってしまいました。

 

私が買ったカメラはSONYの「α6300」。

価格こそレンズ含めて約10万円と、型落ち商品の割に結構な値段しましたが、旅行をするのが余計に楽しくなるなど、非常に良い買い物をしたと思っているくらい、私のお気に入りカメラです。

 

そんなカメラを使い始めて気が付けば早1年ちょっと。

最初は単焦点レンズのオートフォーカスだけでも「すごい!」と興奮していた私も、1年以上経った今では、基本機能はある程度使いこなすまでになりました。

レンズの性能やシャッタースピード、F値、ISO感度、露出度、ホワイトバランス……。

基本的なことは何となく理解してきたつもりです。

 

しかし、カメラを操作する中でふと思ったのです。

「カメラって”選択肢”が多すぎやしないか」と。

 

もしかしたら、「何言ってるの?」「シャッター切ればいいだけでしょ?」と思っている人もいるかもしれませんが、実はそこまで単純ではないのが『カメラ』なのです。

 

実はカメラというのは、先のような基本機能を操作し、それら全ての要素が良いところで重なりあった時に、初めて良い写真を撮ることができるものなのです。

そして、その肝心の操作が結構難しいのです。

 

そもそも、写真には『正解』というものはありません。

単に「風景を撮る」とは言っても、暗い風景が好きな人、淡い風景が好きな人、明るい風景が好きな人……、と人それぞれ好みが分かれます。

そのため写真のテイストは人によって千差万別、答えなんてものはないのです。

だからこそ、自分自身で『どのような写真を撮りたいか』を事前に決めなくてはなりません。

その時点で様々な”選択肢”が生まれると思います。

 

しかし、『こう撮りたい』と頭の中で思い描いているだけでは、思い通りの写真にはなりません。

ではどうすればいいのか。

そう、先ほどの”基本機能”とやらを操作していかなくてはならないのです。

ただ、この”基本機能”にも様々な”選択肢”が存在します。

 

例えば、カメラの命とも言える『レンズ』。

実は『レンズ』にも様々な種類があります。

「単焦点」に「広角」、「望遠」、それらを組み合わせることもできます。

また、同じ「単焦点」でも、レンズによって大きく機能が変わることもあります。

そのため、『レンズ』だけでも多くの選択肢が生まれます。

 

当然、選択すべきはレンズだけではありません。

遅くて30秒、早くて4,000分の1秒とコンマ単位で決められる「シャッタースピード」。

ぼかし具合を数十のパターンから選べる「F値」。

光の入り具合を数十のパターンから選べる「ISO値」や「露出度」。

写真の色合いを変幻自在に変えることができる「ホワイトバランス」。

……などなど、これらの機能を数多くの選択肢の中から選択しなければなりません。

 

そんな数多くの選択が迫られる中、ここで1つ注意しなければならないポイントが生じます。

それは『それぞれの機能がそれぞれの機能に干渉し合う』というところです。

 

そもそも、カメラの基本機能となる「シャッタースピード」と「F値」には、それぞれメリットとデメリットがあります。

「シャッタースピード」は遅くすればするほど、早い動きのものを止まったように捉えることが可能というメリットがありますが、その代わりに光がもの凄く入ってくるというデメリットがあります。

同じように「F値」は、数値を小さくするほどボケやすくなりますが、光が多く入ってきますし、逆に数値を大きくすると全体をボカさずに撮れますが、暗い上にノイズが走るようになったりします。

 

そういった問題を解決するために「ISO値」や「露出度」があるわけですが、これらの数値を間違えると光を入れ過ぎて白飛びしたり、逆に暗くなり過ぎて何かわからない写真になったりします。

それは単に「ISO値」や「露出度」の調整を間違えたというだけでなく、「シャッタースピード」や「F値」の細かい設定を間違えている可能性も十分にあり得ます。

というのも、「露出度」はともかく「ISO値」は光の入り方が極端というのがあるからです。

だから、「ISO値」の設定を低めにして、「シャッタースピード」を早めに設定することで光の加減を調節することもあります。

 

ただ当然、被写体が早いモノであれば「シャッタースピード」を落とさなければなりませんから、「ISO値」を高めに設定したり、「F値」を開放したりしなければならない時もありますし、逆に「F値」をメインにしたら「シャッタースピード」の設定をいじったり、「ISO値」の設定をいじったりしなければなりません。

それは「シャッタースピード」と「F値」をメインにした時でも同じことが言えます。

 

つまり、それぞれの数値には規定などはなく、様々な機能を微妙な数値で設定することで、互いが互いをしっかりと支え合えるベストなカメラコンディションを決めなくてはならない、ということです。

そして、そのベストコンディションに近づけるための手段は、当然ながら1つではありません。

だからこそ、「何をメインで、どんなテイストで撮るか」というのをしっかりと見極めていなければならないのです。

 

こうして多くの選択をして写真を撮っていくわけですが、やはり理屈は分かっていても、思い通りにならないのが世の常です。

家に帰って撮った写真を見てみると、「こんな写真を撮りたかったわけではない」という後悔や絶望感に襲われる時があります。

そんな写真を見ると、「あの時シャッタースピードをもう少し落とせば」「もっとF値を絞っていれば」「ISO値を下げていれば」「ホワイトバランスを変えていれば」……など、多くの後悔の念が生まれます。

もちろん、その場で判断できなかった私の実力不足ですが……。

 

しかしながら、素人の私から言わせてもらえば、『ここまで選択肢が多いと、その場でどのように設定すればいいのか分からなくなる』というのも原因として大きいかと思います。

「そもそも写真のテイストはどうするか」「レンズは何を使うか」「シャッタースピードは?」「F値は?」「ISO値は?」……、選択しなければならない項目が多すぎて、その場で瞬時に導き出すことが難しくなります。

その結果、「取り合えずこんなものでいいか」で写真を撮って、家に帰って後悔するわけです。

 

 

それにしても、ここまで書くと『カメラ』というのは、『人生』とどことなく似ている気がします。

 

『人生』も生きる道は人それぞれで、自分が生きたい道を自ら選んで歩いていきます。

その道をどんな身なりで歩くかも、どうやって歩くかも、その道で何をするのかも、数多くの様々な選択肢の中で自分で選んで歩いていきます。

当然、それに答えなんてないし、何が正解か分かりません。

だからこそ、自分の選択に数多くの迷いが生じ、時に立ち止まって、後悔することもあります。

 

まさに『カメラ』とは『人生』を写し出す鏡なのではないでしょうか。

 

先に言いましたが、人生に正確な答えなんてありません。

つまり、どんな道を歩いても間違いではないということになります。

ただ、『カメラ』と同じように、『人生』もその選択の多さが時に仇となることもあります。

 

よく「選択肢は多いに越したことはない」と言われますが、本当にそうだろうかと私は思います。

 

当然、仕方なく選んだ道より、自分が行きたくて選んだ道の方がいいでしょう。

だから、自分で選べる道を開拓できるようにするためにも、選択肢を増やしておいた方がいい、という考え自体は理解できます。

 

しかし、『人生』とはそこまで甘いものではありません。

時に「いざ行ってみたら自分の思っていた道と違かった」ということが起こり得るものなのです。

その時、選択肢を多くしておいたが故に、「あの時、あの道を選んでいれば良かった」「あの時、ああすれば良かった」などという後悔が大きくならないのでしょうか。

逆に、選択肢が少なければ「別にしょうがない」「ここの道しかなかったからな」と楽観的になれるのではないでしょうか。

 

別に私は「後ろ向きなポジティブがいい。それでいい」と言いたいわけではありませんし、「自分で選ぶ道を避けろ」と言いたいわけではありません。

どちらかと言えば、「笑顔満開の100%幸せなポジティブがいい」と思っていますし、「自分で道を選んだ方が多くのメリットがある」と思っています。

 

ただ、今回の話で私が言いたいのは、「選択肢が多いから良い、少ないから悪いということではない」ということです。

それは先述した『カメラ』の話でよく分かったと思います。

選択肢が多いとそれだけ多くのメリットがある分、かえって足を引っ張ることもあるのです。

 

もちろん、その選択肢の多さをメリットととるか、デメリットととるかはその人次第です。

ですから、選択肢を増やすか・増やさないかは、ご自身で決めるべきだと思います。

 

しかし、そこで見誤ってはいけないのが「選択肢の多さが『人生』において全てではないし、大事なことでもない」ということです。

これは私自身、確実なことだと思っています。

たまに選択肢に囚われて生きている方がいますが、選択肢は人生において重要なことではありません。

 

本当に大事なことは「自分が本当にやりたいことは何なのかをしっかりと見据えること」です。

 

『カメラ』でも同じだったと思います。

『カメラ』も「どんな写真を撮りたいか」というのをしっかりと見極めていなければ、何をどうやって操作、設定していいのか見当がつかなくなります。

 

それは『人生』でも同じことです。

「自分の本当にやりたいことは何か」ということを見据えておかなければ、選択肢がいくらあったって、その後の選択でどうしたらいいのか分からなくなります。

 

だから、「最終的なゴール地点をしっかり見据えておくこと」、これが『カメラ』もとい『人生』において、最も重要な事であり、自分が理想とする道への近道になるのではないでしょうか。

 

 

さて、『カメラ』で『人生』の悟りが開けたところで、今回のブログを終わりにしようと思います。

これからも『カメラ』を学んでいきながら、『人生』も学べるように精進していきたいと思います。

それでは!


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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