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主人公・小熊の性格から見るアニメ『スーパーカブ』が爆死で終わった理由

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

さて、最近の私は度々襲い来るアニメ熱に侵され、空前のアニメブームが到来しています。

一作見れば次の作品へと移ろい行く日々。

そんな中、私はアニメ『スーパーカブ』という作品を見ることになりました。

 

アニメ『スーパーカブ』はその名の通り、あの有名なホンダの原付バイク『スーパーカブ』を題材にした作品で、「趣味やお金、友達、親すらもいない、本当に何もない日々を送る女子高生・小熊が『スーパーカブ』と出会うことで生活の景色が変わっていく」という日常系アニメです。

ホンダが直々に監修したためか、少しばかり『スーパーカブ』を引きたて過ぎた感は否めませんでしたが、それでも『スーパーカブ』に乗ってみたいと強く思わせてくれる作品であったことには間違いないと思います。

 

そんな作品に対する周りの評価はというと、あまり良くなかったのが本当のところです。

その証拠にGoogleの検索ボックスを開いてみると、サジェストには「炎上」や「ひどい」などの到底好印象とは思えないキーワードが並んでいるのが目につきます。

その裏には「日常系作品にあるまじき現実離れした設定」「原付バイクにおける二人乗り等の法的問題」「作中に度々混じるCG作画への嫌悪感」…など、様々な要因があるかと思います。

実際問題、私も作品を見ていく中で違和感を感じざるを得ないシーンがあったのは事実です。

 

とは言え、実は本作品の前評判はかなり好印象であったのもこれまた事実です。

下記の動画は本作の第一弾目のPVになりますが、現時点での再生回数は150万回に届きそうな勢いで伸びており、平均よりも注目を集めているアニメであることが分かります。

コメントでも「落ち着いた雰囲気で面白そう」「もうこれ良くできたカブのCMじゃん」「春アニメで一番期待している」…など、PVが公開された当時は絶賛の声が飛び交っていました。

中には、同じく山梨県を舞台にした日常系キャンプアニメ「ゆるキャン△」、数々の名言や名シーンを残しながらスーパーカブに乘って日本を旅した番組「水曜どうでしょう」、同じくバイクを題材にしたアニメ「ばくおん!!」などを示唆する声があるようにも見受けられます。

そのため、本作品には「ゆるキャン△」のようなゆるい日常系アニメ「ばくおん!!」のような軽いギャグアニメ「ゆるキャン△」でも実施された「水曜どうでしょう」とのコラボ企画…など、中高年向けアニメとして多方面から様々な期待が寄せられていました。

 

しかし、そんな期待とは裏腹に、本作品は炎上した後に話にも上がらない爆死アニメとなりました。

確かに今になって考えてみれば、絶賛の声が相次ぐ上記のPVのコメント欄でも「有名モデルが声優を務めている」「自転車での一時停止無視をしている」などと炎上の片鱗を見せており、PV時点で既に懸念される事項は多々あったように思います。

それを鑑みると、アニメ放送後の設定や法律への矛盾、作画や声優への嫌悪感など、そういった爆死アニメとなり得る要因があっても何ら不思議ではなかったのかもしれません。

 

しかして、爆死アニメになった原因は本当に上記のような観点からだったのでしょうか。

と言うのも、私は本作品が爆死アニメとなった最大の原因は「本作品への視聴者の『失望』」だったのではないかと思うのです。

 

先にお話した通り、本作品の内容は「何もない日々を送る女子高生がスーパーカブに出会って生活が一変する」という日常系アニメとなっています。

こういった作品において想像するのは、やはり「徐々に明るくなっていく生活」「その後もゆるく過ごす日々」…といった印象の作品だと思います。

本作品に話を置けば、スーパーカブに出会ったことで友達ができた、人の温かさを知った、様々な場所へ旅をした…など、そういった話を思い浮かべるのが普通だと言えます。

 

しかし、本作品では決して上記のようなことは起こり得ません。

もちろん、そういった描写が全くなかったというわけではなく、主人公にとっては生活がかなり豊かになり、さらに共通の趣味を持つ友達もでき、一応ながらに旅も経験することになっていました。

ただ、それらはあくまで『主人公レベル』の話であって、私たち「視聴者」という第三者側には全くと言っていいほど伝わってこない描写になっているのです。

 

通常的に考えれば、主人公の喜怒哀楽は第三者側にも伝わるように描かれるのが一般的ですが、本作品ではそれらは最小限でしか描かれることなく、全面的な表現というのは一切ありませんでした。

では、なぜ本作品は主人公の感情を第三者に伝わるような全面的な表現ではなく、あくまで主人公レベルに留めた描写や表現にしたのでしょうか。

そこには主人公・小熊の『性格の悪さ』が関係してくるのではないかと思います。

 

はっきり申し上げますと、主人公・小熊はかなり性格が悪いと言えます。

もっと正確に言えば、”性格にかなりの難がある”というのが正解かもしれません。

何にしても、主人公・小熊は第三者から見ても相当面倒くさく、相当印象の悪い人物であることは間違いない話だと思います。

そんな『性格の悪さ』が露呈したエピソードとして、特に私が印象に残っているのは第8話と第9話での小熊と友人の掛け合いではないかと思います。

第8話の冒頭、小熊は友人に持っていた水筒の中身の話を切り出します。

友人がコーヒーだと答えると、小熊は何の言葉もなしに手だけを出してその水筒を要求します。

そして、差し出された水筒をお礼もなしに無言で開け、コーヒーを飲みだすとあからさまにマズいという顔をした後、「コーヒーの味は入れる人間で変わる」という言葉を吐きます。

 

さらに第8話後半、冬用のバイクグローブを探す小熊に対して度々軍手をおススメする友人。

しかし、小熊はアドバイスとも取れるそのおススメを「無言でバイクで走り去る」というフルガン無視スタイルでかわした後、わざわざその友人を自らの買い物に付き合わせるという行動に出ます。

しかも、自ら買い物に付き合わせておきながら友人を放置した挙句、友人が別の商品に現を抜かしていると、ため息をついて「何を探しに来たか分かっているの?」と友人の腕を無理矢理引っ張り、再び自らの買い物に付き合わせます。

友人は友人なりの主張を繰り広げますが、小熊は「ふーん。そ。」と聞き流します。

そこまでして友人を引き戻したのにも関わらず、結局小熊はお目当てのものを見つかられないどころか、今必要のない予定外のものまで買った上、それを友人に茶化されると「私はこれを買いに来た。今そう決めた。」という屁理屈を言い出します。

 

話は変わって第9話前半、今度は冬用の服を探す小熊の姿がありました。

小熊がその話を友人にすると、友人は「何とかなるかもしれない。」と自身の家に小熊を呼びます。

小熊がその言葉に甘えて友人宅に向かうと、友人は部屋から厚手のセーターを取り出してきます。

そのセーターは特殊な生地で出来ており、特別な油などに漬けて手入れを行う必要のあるものであったため、多少なりとも匂いがする服だったのですが、小熊は何の躊躇いもなしに「なんか匂う」と嫌そうな顔で言い放ち、挙句、セーターのモコモコした見た目を「バイクには似合わない」などと悪態をついたのです。

それでも友人は「ジャケットの裏に縫ってライナーにすればいい」と小熊を説得し、最終的に小熊は試着するなどして少し考えた後に友人の案を採用します。

その際、小熊は友人に対して服だけを差し出し、何の悪びれもなしに「早速ライナーを作って」と能面顔で言い放ったのです。

…ということで、紹介いたしました上記の3つのエピソードが第8話、第9話に収録されております。

こうして並べて見ると、主人公・小熊がどれだけ性格が悪いのかが分かることかと思います。

 

もちろん、これはあくまで友人同士の絡みですから、「無視」「あしらい」「無遠慮」…といったことが何の気なしにできる仲、むしろ、そういった絡みが自然体である仲なのかもしれません。

とは言え、「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるように、小熊の行動は友人間にしても図々しさが垣間見えますし、何より友人への”愛”が感じられませんでした。

そういったところから、私は小熊に嫌悪感を抱くほどの『性格の悪さ』を見ました。

 

さて、ここまで彼女の『性格の悪さ』をご紹介しましたが、ここで私が問題視したいのは「第8話や第9話という物語も終盤に差し掛かっている時期にその『性格の悪さ』が一向に改善する余地がない」ということにあります。

 

そもそも、根本的に彼女の性格は一言で言えば「1人を好む無口な現実主義者」と言えます。

もちろん、共通の趣味を持つ友人を作っていることから、一概にそうとも言い切れない部分があることは確かですが、第1話から追って見ていくと、そういった印象を受けるのもまた事実です。

 

そして、そういった根本的な性格が縺れ込んだ結果、小熊は上記のような性格の悪さが形成されてしまったのではないでしょうか。

もちろん、これはあくまで私なりの見解ですから、そうした事実が本作品にあるわけではないですが、そのように考えれば色々と辻褄が合ってくるような気がします。

 

ともかくとして、そうした根本的な性格とそこから派生した性格の悪さが、本作品では全話を通して様々な部分で表れていたように感じます。

だからこそ、本来晴れやかなスタートで走り出すべき第1話ですら、全体的に暗く灰色に閉ざされたような描写や表現が続き、主人公の気持ちが第三者に全面的に伝わる表現になることはないのです。

確かに、それは良く言えば”ノスタルジックな演出”とも取れますが、逆に言えば”想像を絶するほど耐え難い重さのある演出”とも言えると思います。

そうした”想像を絶するほど耐え難い重さのある演出”が、日常系アニメとは到底思えない寄り付き難い雰囲気を醸し出し、第三者の期待を裏切る結果となるのです。

 

とは言え、そのような開幕だったからこそ、先も例に挙げたような好転的な演出を待つ人も少なくなかったと思いますし、そういった演出を期待して継続して見続けた人もいると思います。

しかし、第8話や第9話のエピソードを見ていたければ分かる通り、主人公・小熊の根本的な性格、それに付随する性格の悪さは一向に解消されることはありません。

むしろ、いきなり刺激を与え過ぎたのが原因なのか、『「バイクに乗ってみたい」という世間話程度の話題に対して上から目線のガチアドバイスをする』など、元の『性格の悪さ』が質の悪い方向に拍車が掛かってしまい、あるネットの記事では”イキりバイカー”と称されるまでに性格がひん曲がってしまいました。

その結果として、第1話で見られたような”想像を絶するほど耐え難い重さ”による寄り付き難い雰囲気が最終回まで継続するとともに、性格の悪さに拍車が掛かったことで生まれた主人公・小熊に対する嫌悪感に苛まれることになるのです。

 

つまり、本作品は最後の最後まで主人公・小熊の『性格の悪さ』によって感情の全面的表現がないままに暗い雰囲気で進行し、さらに人によっては嫌悪感を抱きながら視聴せざるを得ない作品となってるのです。

 

もちろん、先も言ったように人によっては”ノスタルジック”と取る人もいるでしょう。

しかして、本作品に対して「ゆるキャン△」のようなゆるさ「ばくおん!!」のようなギャグ的要素「水曜どうでしょう」のような明るさ…などを求めていた人にとっては、本作品はあまりに暗く重い作品となっており、非常に理想からかけ離れた作品となっていたと思います。

そうした「本作品への視聴者の『失望』」が視聴者の離脱に繋がり、最終的には爆死アニメとなった要因なのではないでしょうか。

 

 

…と、そんなこんなでここまで本作品『スーパーカブ』もとい”主人公・小熊”を酷評してきましたが、一方でいい所も多々あったことかと思います。

個人的には小熊や椎ちゃんのキャラデザ、原作がラノベである故の文学的かつポエマー的な言葉の言い回し、ヴェートーベンやヴィヴァルディなどの有名クラシックを用いたノスタルジックな雰囲気づくり…などは印象的で好きな部分でした。

とは言え、上記に挙げた理由から『好き』とまでは言えないアニメであったことも確かです。

 

皆さんは本作品『スーパーカブ』をご覧いただいてどういった感想を持たれたでしょうか。

是非コメントでお伺いできれば嬉しいです。

逆に、見ていない方は一度見てみるのもいいかもしれません。

もしかしたら、ノスタルジックな雰囲気に飲まれるかもしれませんよ?

それでは。


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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