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兎田ぺこらの『冷めたチキン騒動』から学ぶ一言添えることの重要性

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

突然ですが、皆さんはvtuberというものをご存知いただいていますでしょうか。

私のブログや配信を見てくださっている方なら、何となく知っているという方も多いかと思いますが、簡単に言うと、YouTuberのように動画投稿や配信活動を行っている二次元キャラクターの総称のことです。

私のブログや配信では度々このvtuberについての話題を出すことがありますが、今回のブログでも少しお話していこうと思います。

 

今回お話させていただく内容は、ホロライブ所属のvtuberである兎田ぺこらさんの件についてです。

兎田ぺこらさんというと、私も以前ブログで取り上げさせていただいたことのあるvtuberの1人で、世界で最も再生された女性ストリーマーランキングでは第4位、vtuberのみであれば第1位と超絶的な人気を誇るvtuberです。

 

しかし、そんなvtuberが昨年のクリスマスに不祥事を起こしてプチ炎上する軽い事件が起きました。

名付けて『冷めたチキン騒動』と言われますが、どういうことか簡単に順を追って説明いたします。

まず、事件が起こったのは2021年12月24日のクリスマス・イブの日の夜のことです。

クリスマス・イブと言えば、やはり連想するのはカップル達のデート姿ですが、大人気ストリーマーである兎田ぺこらさんはそんな日に配信を行うとして配信枠を用意していました。

ガチ恋勢の視聴者としては、クリスマス・イブという世間一般的に言えば”カップルと過ごす特別な日”に兎田ぺこらさんの配信を見るというのは、実質的に言えば”兎田ぺこらとのデート”と同義であったため、皆一様に自宅にチキンやケーキを用意して楽しみに待っていました。

 

しかし、配信時間になっても配信は一向に始まらず、Twitterなどにも配信中止のメッセージもない状態だったため、視聴者はただただ時間だけが過ぎるのを待つばかりでした。

結局その日の配信は行われることなく、後に視聴者からは『ぺこらにとってどうでもいい存在だったんだ』『さよなら』など、兎田ぺこらさんに落胆し、離れていく旨のコメントが多々寄せられていました。

中には、『チキン冷めちゃった』という文豪のような哀愁漂う文章を残す者まで現れました。

 

その後、兎田ぺこらさんは翌日の配信で「耳の調子が悪く、同じ箱の人も配信を行っていたため休んだ」と理由を明かしましたが、視聴者の心象はあまり良くなかったようです。

以上が今回の『冷めたチキン騒動』の流れです。

現在そこまでのダメージは確認されないので、何とか軽度の炎上で済んだようですが、事実として離れていった人は少なからずいたようです。

 

そんな一件があったわけですが、今回の一件を鑑みて私がお話したいのは『一言添えるのは大事なこと』ということです。

 

もの凄く現実的な話をすれば、『兎田ぺこら』の中には1人の人間が存在しており、”ガチ恋勢”の方と同様に『クリスマス・イブは大切な人と過ごす』という考え方をしているでしょうから、そもそも配信がなくてもおかしくはないわけです。

それを踏まえた上で正直的な話をさせていただくと、クリスマス・イブの日に配信を行うからと、一人で勝手にデート気分でクリスマスケーキやチキンを用意して、二次元のキャラクター『兎田ぺこら』に思いを馳せ、期待して待っていた”ガチ恋勢”の方々もどうかと思ってしまいます。

 

ただ、『兎田ぺこらさんは悪くないのか』と言われれば、それもまた違うと思います。

 

そもそも『枠を取る』ということは、それ相応の責任が問われるわけですから、枠を取った以上は基本的に配信を行うことを前提に行動するべきだと思いますし、最初から配信を行わないつもりでいたのなら、端から枠を取るべきではなかったと思います。

また、もし仮に枠を取った状態で何かしらのアクシデントが発生した、何かしらの急用が入ったのだとしても、その事象が判明した時点で報告するべきだと思います。

つまり、配信の枠を取ってしまっていた以上、それ相応の責任が発生しているため、基本的には配信は行うべきではあるが、人間である以上はアクシデントや急用もあることだろうから、その時には配信を中止する/しないに関わらず、何かしらの報告はするべきではないか、ということです。

 

先ほども言ったように、現実的に考えれば、『兎田ぺこら』という二次元キャラクターの中には1人の人間が存在するため、クリスマス・イブの夜に何かしらの予定が入るというのは至極自然なことだと思います。

なので、『枠を取っていたのに配信が中止になった』という部分に関して言えば、私からは何ら言及もしませんし、何ら咎めもしません。

しかし、枠を事前に取っていたことにより、配信を待ち望んでいた方も一定数いたのは事実ですから、何かしらの理由で中止するにしても、中止することを報告する義務はそこに生じていたと思います。

 

あるコメントでは『待っていることが辛かった』『一言だけでも欲しかった』という発言が見受けられました。

もし早い段階で『今日の配信は耳の調子が悪いので中止です』という一言があったのなら、今回の騒動はどうなっていたのでしょうか。

私が上記のコメントから察するに、多少の噂話が挙がったにしても、ここまで大事にはならなかったのではないかと思います。

 

もちろん、急用やアクシデントがあってバタバタしていた、心ここにあらずだったというのは理解していますが、たった一言、上記の文章くらいを添えることはできなかったのでしょうか。

正直な話、私はできたのではないかと思います。

 

それこそ上記の断りの文章でたった約20文字であって、時間にして1分も掛からない文章量です。

そんな文章を打てないほど余裕がなかったのだとしたら、一体どのような要件だったのかと私は甚だ疑問でしかないですね。

 

そうして考えれば、この騒動は本当にたった一言添えるだけで良かったのです。

その一言だけで多くの人の心象は変わったのではないかと思うのです。

 

そして、これはどんな物事においても言えることだと思います。

例えば、人に話しかける時、人の前を通る時、何かしらの粗相をした…など、『すみません』などのフォローのたった一言があるだけで大きく人の心象は変わります。

他にも、『ありがとう』とか『おはよう』とか、そういった基本的な挨拶や言葉一つが後々役に立つことだってあります。

そういった『たった一言添える』という行為が、人の心象を変えて様々な場面で活きることがあるのです。

 

それは本当に簡単な一文だけで良いのです。

その一言が人の心象を変えるのです。

 

今回のブログでは、先日起きた兎田ぺこらさんの騒動をご紹介させていただきましたが、今回の騒動で『一言添えることの重要性』を学ぶことができたのではないでしょうか。

そういう意味では、兎田ぺこらさんの今回の失敗は成功の架け橋になったのではないかと思います。

兎田ぺこらさんには今後こういうことのないように、必ず一言でも添えていただけたらと思います。

 

そして、そんな私自身も活動内外問わず、一言添えるように心掛けていきたいと思います。

皆さんも今一度『一言添えることの重要性』を理解していただき、是非実践していただけたらと思います。


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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