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『のんのんびより』から見る田舎であるゆえの温かさ

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

さて、今回の時雨ブログは「田舎」についてお話していこうと思います。

 

皆さんは、田舎と言ったらどういう印象を持たれているでしょうか。

田舎と一口に言っても、ある程度整備された土地から全く整備されていないような限界集落まで幅広くありますから、その印象も様々だと思います。

例えば、人もまばらで緑豊かな静かでのどかな土地だと思う人もいるでしょうし、何もなく、どこに行くにも時間がかかる不便な土地だと思う人もいるかと思います。

これに関しては、個人の主観的問題になってくるので正解などはありませんが、ここ最近では定年を迎えた方々が、余生をのんびり過ごそうと、都会に建てた持ち家を手放してまで田舎に越してくる人も少なくありません。

それを考えると、田舎をよく思う人も多い印象を受けます。

 

そんな田舎暮らしですが、やはり気になるのはご近所付き合いだと思います。

 

田舎というと、人があまりいないためか、その土地の人全員が顔見知り、全員が仲良しというような印象が強いと思います。

そのため、その土地の人と最初のうちに仲良くなっていないと一生仲良くなれず、村八分にされ、楽しい田舎生活が過ごせなくなる、と思っている人もいることでしょう。

 

確かに、人があまりいない分、その土地の人全員が顔見知りである可能性は全然あり得ますし、それぞれの繋がりが強く深く、ものすごい団結力を見せる可能性もあります。

その間に入り込むのは難しく、“よそ者”と揶揄され、村八分にされる可能性も0%ではないかと思います。

 

以前にも書いたような気がしますが、人間やその他の生物は自らの防衛本能から、変化を嫌う生き物なのです。

ただ、それは本能であるため仕方のないことです。

そのため、田舎の人が言うところの”よそ者”が土地に入り込んだことで、その環境の変化を拒み、なかったことにしようとした結果が、村八分などにつながるわけです。

 

しかし、これはあくまで可能性の話です。

 

そういう土地柄のところもあるにはあるとは思いますが、どの土地もそうというわけではなく、むしろその逆で、新入り大歓迎のウェルカムムード全開の土地もあるくらいです。

 

そもそも、新入りを拒んで入ってこれなくすると、新規発展はなくなり、新しいもの好きの若者たちは皆よそへ出ていきます。

その結果、受け継ぐ者もいなくなり、やがては衰退の一途を辿ることは目に見えています。

それが分かっているのにも関わらず、変化を恐れ、意固地になって新入りを拒むのは自滅行為に等しく、見ている側としてはあまりに滑稽です。

それを分かっているからこそ、今となってはウェルカムムード全開の土地も出てき始めたのでしょう。

 

さて、そんな田舎での近所付き合いですが、当然ながら悪いことばかりではなく、田舎ならではの良いところも多くあります。

今回はそんな田舎の良いところの1つ『田舎だからこその温かさ』を、私が先日見終わったアニメ『のんのんびより のんすとっぷ』のエピソードから紹介していきたいと思います。

第1話『カエルの歌を吹いた』・第4話『トマトを届けるサンタになった』

まずは、第1話「カエルの歌を吹いた」第4話「トマトを届けるサンタになった」から紹介です。

 

この2つのお話にはある共通点が存在します。

それはどちらのお話も『新キャラが登場した』という点です。

第1話では別の土地に住む高校1年生の「篠田あかね」さん第4話では同地域に住む来年度で小学生になる「しおり」ちゃん、この2人が新たにサブキャラとして登場することとなりました。

 

私はこの共通点から田舎の人には『順応力の速さ』『親しみやすさ』があると思いました。

 

皆さんは初対面の人と会う時、どのように接するでしょうか?

きっとある程度人がいるような土地に住む人であれば、いきなり距離を詰めたりせず、ある程度距離を見定めて接すると思います。

基本的に人が多いと世の中何が起こるか分からないということもあって、相手を疑ってかかるというわけではありませんが、用心のためにも様子を伺ってかかる人が多いと思います。

そのため、どこか壁を作られているかのようなよそよそしさだったり、初対面という環境に慣れない順応力の低さが垣間見えます。

 

しかし、田舎の人はどうでしょうか。

 

アニメ第1話では、初対面で緊張するあかねさんに対し、小学1年生の主人公・れんげちゃんは自ら自己紹介や相手の名前を聞くなど、会話をリードする役回りになっています。

それはれんげちゃんだけではありません。

その次のお話である第2話では、あかねさんを他メインキャラに紹介する場面がありますが、やはりそこでもあかねさんは会話をリードされる形となっています。

ただ、いつまでも会話をリードされっぱなしというわけでもありませんでした。

最初は緊張していたあかねさんでしたが、いつしか緊張もほぐれ、自然に会話ができるようになっていたのです。

 

そして第4話では、迷子になっていたしおりちゃんに、れんげちゃんは何ら躊躇することなく気さくに声をかけ、助けてあげます。

その後、れんげちゃん、しおりちゃん、その他のメンバーで一緒に遊ぶことになりますが、その場でしおりちゃんと初めて会った他メンバーは「ああ、あそこの家の子か」と言うだけで、緊張も何もなく、普段通り一緒に遊んでいました。

それはしおりちゃんも同じで、れんげちゃんに会った時もその他のメンバーに会った時も、何の躊躇いもなく、楽しそうに会話をしたり、一緒に遊んだりしていました。

 

このように、初対面の相手に躊躇することなく、積極的に関われる、そして関わった人間の気持ちを解すような結果になったのは、やはり田舎であるからこその『順応性の高さ』と『親しみやすさ』があったからだと思います。

 

当然そこには、『コミュ力の高さ』といった人間性的な要因もあるでしょう。

しかし、あくまでその人間性を築くのは、周りの環境で次第でもあると思います。

 

私が推測するに、田舎という人が少ない土地だからこそ、皆で協力して助け合うという精神が根付いており、昔からその土地のいろいろな人と関わってきた結果、どんな人とでも関われる『順応性の高さ』と、その中で人を助け合うなどができる協調性、包容力、ひいては『親しみやすさ』が生まれたのではないかと思います。

 

このような「初対面の人とでも気さくに話せる」というのは、今の都会にはない田舎のいい点ではないでしょうか。

 

第10話『寒くなったりあったかくなったりした』

お次に第10話『寒くなったりあったかくなったりした』からの紹介です。

 

この回では、前作にも登場したキャラクター・石川ほのかちゃんとの久しぶりの再開を果たします。

前作では、夏季休暇を利用して祖母の家に訪れていたほのかちゃんでしたが、れんげちゃんは彼女の帰宅日時を知らず、別れの挨拶もできずに帰宅してしまっていました。

そんな寂しい思いをしたれんげちゃんは、今回こそはと、冬期休暇を利用して祖母の元へ訪れていたほのかちゃんに会いにいきます。

今回のお話は、そんな感動の再開と過去の無念を晴らす、という内容になっています。

 

私はそんな話の中で、田舎ならではの『出会いと別れの尊さ』があるのではないかと思いました。

 

私は田舎が田舎である所以は、土地が整備されておらず人があまり入ってこない、あるいは、その逆であるからだと考えております。

つまり田舎は、本来であれば頻繁に出たり入ったりするはずの人の流れが出ていく一方である、むしろ、出ていくだけならいざ知らず、人がいなさ過ぎて出ていく人すら全くいない土地である、ということです。

まあ一言で言えば、田舎は人の流動性がないのです。

だから、本当の田舎は人が出入りすることすら珍しい出来事であり、全く新しい人との出会いや別れなどはあまりないのではないかと思います。

 

前回のほのかちゃんとの出会いは、そんな珍しい中で訪れた奇跡に近い新たな出会いなわけで、今回の再開もそれに近いわけです。

それを考えたら、そりゃもう大騒ぎですよね。

ウキウキ、ワクワクが止まらない、遊ぶのが楽しくてもしょうがないです。

でもだからこそ、出会ったこと以上に別れることの方が寂しいものです。

それこそ前回のように別れを見送ることも、別れの挨拶も言うことさえもできないというのは、寂しいというより悲しくなります。

 

だからでしょうか。

田舎の家に行くと、たんまりともてなされるイメージがないでしょうか?

「もっと食べな」と言ってご飯をご馳走してくれたり、「くつろいで行きなさい」と家に泊めさせてくれたり、いろいろな気遣いをしてくれそうですよね。

このお話の中でも、れんげちゃんはいろいろな所を紹介して回っており、もてなそうとする気持ちが十二分に伝わってきます。

 

これぞ田舎だからこそのものだと思います。

先ほども言った通り、田舎には人はほとんど来ることはありません。

そして、それと同様に出ていくこともあまりありません。

そのことから、新たな人との出会い、別れはどれほど貴重なものであるか、それがどれだけ嬉しく喜ばしいことであるか、それがどれだけ寂しく悲しいことであるか、それをしっかりと理解しているのだと思います。

だからこそ、手放さないように、手放したとしても後悔しないように、人が来た時に目一杯もてなしているのではないでしょうか。

 

都会に住んでいても、新たな出会いは嬉しいですし、別れは寂しいものです。

しかし、都会に住んでいればその回数は多くなり、その分希少性は薄れ、価値観も薄れゆきます。

 

その点、田舎はそもそもの出会える数が少ないので、出会えた時の喜びは非常に大きいと思います。

その反面、別れた時の寂しさも大きいと思いますが、それもノスタルジックでどこかいいですよね。

 

田舎では、そういった『出会いや別れの尊さ』を知り、一期一会を大切にできるからこそ、目一杯のおもてなしができる暖かさを持てるのではないでしょうか。

 

第11話『酔っぱらって思い出した』

最後に第11話『酔っぱらって思い出した』からの紹介です。

 

この回の内容としては、れんげちゃんの成長を振り返るとともに、その他のメンバーの成長も実感していく、というようなものになっています。

ここで需要になってくるのは、誰が誰の成長を振り返り、実感しているのかです。

 

普通であれば、両親や教師といった通常的に面倒を見ている大人の人が、子どもたちの成長を見守り、実感するものだと思います。

しかしアニメ内では、まだ大学生くらいの近所の駄菓子屋のお姉さんが、れんげちゃんやその他のメンバーの成長を実感していたり、学校の先生であるれんげちゃんのお姉ちゃんが、その駄菓子屋のお姉さんの成長を実感していたりしているのです。

それだけではありません。

まだ中学生、高校生のその他のメインメンバーたちがそれぞれの成長を実感しているのです。

 

そう、田舎では両親や教師だけに留まらないのです。

何度もお伝えするように、田舎では人が少ないために、皆で協力して助け合う精神があります。

それ故に、近所のおじいちゃんやおばあちゃん、お兄さんやお姉さん、友達の両親といった大人たちが自分の子どものように分け隔てなく面倒を見てくれるのです。

そして、それは大人たちだけではなく、大学生、高校生、中学生、小学生……といった学生さんたちも一緒なのです。

1歳でも年下であれば、年上としてしっかりと面倒を見るという文化が根付いているのです。

 

しかし、だからといって「俺が年上、お前が年下。だから言うことを聞け」などという横柄な態度をとることはありません。

年上として年下の面倒をしっかり見ている上で、年齢という壁を作ることなく、同い年であるかのように一緒に遊んだり、接したりするのです。

 

ある程度の都会になると、学年が違えば別世界のような扱いになると思います。

小学1年生と中学3年生が一緒になって遊ぶことはまずあり得ないですし、歳が近い小学1年生と小学2年生ですら一緒に遊ぶことはないです。

 

田舎では、「大人と子ども、自分の子とよその子関係なく年下なら年上が面倒を見るものだ」という、その土地の人数の少なさ故の助け合いの精神からくる『分け隔てない関係』が構築されているのです。

 

だから、自分の子だろうがよその子だろうが、歳が遠かろうが近かろうが、悪いことをしたら叱るし、良いことをしたら褒める、遊ぶときは一緒になって遊ぶ、そういった面倒見の良さが発揮され、いつしかどこの子だろうと年齢関係なしに成長を感じられるようになるのです。

 

そういった『分け隔てない関係』を作れるのも、田舎ならではの暖かさではないでしょうか。

さて、ここまで4つのお話を紹介していく中で、3つの田舎の暖かさを紹介してまいりました。

 

最初にもお伝えした通り、田舎ではご近所付き合いが大変になることもしばしばです。

しかし、それは相手を想ってであることが大半であります。

だからこそ、上記3つの暖かさがあったり、その他良いところがたくさんあったりするのです。

 

そのことを考えると、自然大好き、人の暖かさが大好きという人でしたら十二分に見合っていると思いますが、自然大好きだけど人付き合いが苦手だったり、人付き合いは好きだけど自然が苦手だったりすると、意外と不便に感じることも多いと思います。

人によってはそういったご近所付き合いが煩わしく感じる人もいるかと思いますので、もし、田舎に引っ越しをしようと考えている方がいましたら、こういった暮らしが自分に見合っているのかを少し考えてからの方がいいかもしれません。

 

また、今回紹介したアニメ「のんのんびより」が気になった方は、是非見てみてください!

癒されること間違いなしです!

 

それではこの辺で。


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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