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今が重要か、未来が重要か ~踊る大捜査線第4話の名言から考える~

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

突然ですが、皆さんは『踊る大捜査線』というドラマをご存じでしょうか。

古いドラマですので知らない方もいるかもしれませんが、端的に言えばよくある刑事ドラマです。

もちろん”よくある”とは言っても、決してありきたりでつまらまいというわけではありません。

事実、1997年にドラマがスタートしましたが、その15年後の2012年までに映画が4本、スペシャルドラマも多数制作されるなど、もの凄い人気を誇るほど面白いドラマです。

私もこのドラマは本当に大好きで、私の数少ない不朽の名作と思える作品です。

 

そんな作品の中でも特に好きな話があります。

もちろん、どの話も面白いものばかりで好きなものも多いです。

3話の椅子爆弾の話も面白いですし、6話・7話の雪乃さんの話もカッコよくて好きです。

最終話である10話・11話なんか感極まって涙しました。

ただ、それを差し置いて圧倒的に好きだと言える話があるのです。

 

それが今回ご紹介する第4話『少女の涙と刑事のプライド』です。

 

この話は本当にカッコいい話で、誇張なしに何十回と見てきた話です。

そのおかげで後半部分のセリフは全て記憶してしまったくらいです。

それほどまでに私にとって大好きな話なのです。

 

そんな話のあらすじを少しだけご紹介いたします。

物語は「重大事件の犯人が主人公・青島の所属する湾岸署の管轄内のバーに現れる」とのタレコミがあったことから始まります。
そのタレコミを聞きつけた室井さん率いる警視庁捜査一課が湾岸署へ、協力者として1人駆り出すように捜査協力を要請しました。
今まで捜査協力してきた署員は、お茶汲みなど雑用をやらされることを知っていたため、何らかの理由を付けて誰もやろうとはしません。
しかし、今回の捜査協力の要請は今までのものとは違いました。
実は、今回の要請は室井さんから直々に青島へ指名があった上に、決して雑用などではなく、警視庁捜査一課の捜査員として働くよう命じられたのです。
青島は分からないまま重大事件の犯人を追うことになるのですが…。

これが簡単なあらすじになります。

 

実は、この話は『踊る大捜査線』という作品を構築する上で割と重要な回になっております。

と言うのも、この話はこの作品の焦点である『青島と室井さんとの信頼関係』を築くきっかけとなった話なのです。

無論、単に青島と室井さんが仲良くなった、などという安易な話ではありません。

むしろその逆で、青島と室井さんの間に険悪なムードが立ち込める瞬間が訪れることになります。

 

信頼関係を築くはずの二人の間になぜ険悪な雰囲気が流れたのか。

そこには根本的な考え方の違いがあったからだと私は考えます。

今回はその考え方の違いに触れていきたいと思います。

 

 

一応忠告しておきますが、ここから先は確実にネタバレが含まれます。

まだドラマを見ておらず、ネタバレしてほしくない方は一度ご退室いただければと思います。

ここから先はネタバレしてもいいという方だけご覧ください。

 

 

さて、「青島と室井さんが険悪な雰囲気になる」ということですが、そもそもどのような状況でそのような状態になったのでしょうか。

少し話の流れを見ていきましょう。

室井さんの指名を受けて警視庁捜査一課に呼ばれた青島は、早速タレコミのあった場所で張り込みを開始します。
そこに青島を茶化しに来た青島の同僚・すみれと後輩・真下が訪れますが、もちろん青島はつれない返答をしました。
そうこうしているうちに現れたのは、すみれのバッグを狙うスリの男で、 警察官であるすみれはスリの男を警察手帳を見せて逮捕します。
しかし、間の悪いことに、すみれが警察手帳を見せる瞬間を重大事件の犯人に見られ、逃げられてしまったのです。
そんな失態を犯した青島に室井さんはがっかりしたものの、「ここで手柄を立てれば、警視庁捜査一課に推薦しようと思っている」と胸のうちを明かし、青島にもう一度チャンスを与えます。
そして、別のバーに訪れるというタレコミを基に、青島は再び張り込みを始めます。
しかし、また間の悪いことに、今度は近くで女の子が男に殴られるという揉め事が発生します。
青島は揉め事を解決しようと室井さんに無線で掛け合いますが、重大事件の犯人の方が先だと許しを貰えません。
青島も何度か耐えようとしますが、殴られている女の子を見ていると、居ても立っても居られず、とうとう行動を起こしてしまいます。
当然、犯人には見られ、またもや逃げられてしまいます。
流石の室井さんもこれには黙っておれず、二度も犯人を取り逃がした青島を叱責することになります。

これがこの話の一連の流れになります。

要するに、スリや揉め事など小さな事件に気を取られ、二度も重大事件の犯人を逃した青島に対し、警視庁捜査一課に推薦しようとするほどの期待を寄せていた室井さんが、青島の行動に失望して叱責する、というお話です。

 

さて、私はこの話にはある2つのキーワードが隠されていると考えています。

それが『今』『未来』です。

 

青島はスリや揉め事といった”今目の前で起きている事件”を重視しました。

一方で、室井さんは連続殺人という”未来に重大なことが起こり得る事件”を重視しました。

つまり、青島は『今』、室井さんは『未来』を重視する、という真逆な考え方をしていたのです。

 

なぜ、ここでこのような考え方の違いが生まれたのでしょうか。

私は『”青島の信念”と”室井さんの思い”との対比』の中にある答えがあると考えます。

 

室井さんに叱責された青島は、次のような言葉を残しています。

事件に大きいも小さいもあるんですか!?

目の前で困っている人がいても、大きい事件のためには無視しろって言うんですか!?

この言葉は『踊る大捜査線』という作品の中でも、まさしく名言に当たる言葉だと思います。

そんな言葉の中には、連続殺人のような大きい事件でも、スリや揉め事のような小さな事件でも、目の前に困っている人がいたらその人を真っ先に助ける、という”青島の信念”が垣間見えます。

 

一方、室井さんは一貫して重大事件の犯人を追うことに専念しています。

もちろん、そこには単に「それが仕事だから」「上からの命令だから」というのもあるでしょう。

しかして、室井さんは部下たちのような「上に行くためのポイント稼ぎ」としては考えていません。

その証拠に、作中で室井さんは『部下たちは出世のことしか考えていない』と、部下たちを嘲笑するかのような口ぶりで言い捨てました。

さらに言えば、本当に上に行きたいと思うのなら、青島のような所轄の新米刑事を重大事件の捜査員として入れることはしないでしょう。

そのことを考えると、むしろ「上に行けなくてもいい」という覚悟さえあるように伺えます。

 

なぜ、そこまでして室井さんは青島を警視庁捜査一課に呼んだのでしょうか。

もちろん、今回の意図については作中にも言われている通り、青島に手柄を立ててもらって正式に警視庁捜査一課に推薦するため、というものになりますが、私が言いたいのはその先の話です。

要するに、なぜ室井さんは青島を警視庁捜査一課に推薦しようとしているのか、ということです。

私は、出世のことしか頭にない部下たち、ひいては警視庁内部に反して、出世のことなどお構いなしに困っている人がいたら助けるという青島の信念が、今の警視庁にとって必要なものであり、そんな信念を持つ青島が警視庁に入ってくれたら、何かが変わるかもしれないと考えたからではないか、と考えます。

つまり、自分の身の保身しか考えず、被害者のことをなど全く考えない警視庁内部の体制を改善したいという”室井さんの思い”が、青島を警視庁捜査一課に推薦しようとした理由ということです。

 

目の前の人を助けるという”青島の信念”警視庁の体制を改善したいという”室井さんの思い”

こうして並べて見ると”青島の信念”は『今』を表し、”室井さんの思い”は『未来』を表していることが見て取れます。

この対比がまさしく考え方の違いを生み出し、険悪な雰囲気を作り出したのです。

 

しかして、ここで私は思うのです。

出世する『未来』を捨て、目の前で起きている事件の解決を選んだ『今』を重視する青島。

『今』起きていることの解決も重要と理解しつつも、どれでも警視庁の改革のために今後起こり得る可能性のある事件の解決を選んだ『未来』を重視する室井さん。

この両者のどちらが賢明な判断と言えたのでしょうか。

 

もちろん、個人の考え方の違いなので、一概に正解や不正解はありません。

だから、『今』を重視する青島も『未来』を重視する室井さんも、どちらの考え方も間違いではなかったと思います。

ただ、その中で敢えてどちらかを決めるとするならば、『今』と『未来』どちらを選ぶべきだったのでしょうか。

 

これはあくまで個人的な感想ですが、私なら青島と同じく『今』を重視すると思います。

 

もしかすると、そこには”青島”という主人公に対する共感が、潜在的に少しは混ざっているのかもしれません。

しかして、先ほどの青島の言葉を聞いた時、妙に納得してしまった私がいたのも事実です。

 

もちろん、「1人がケガを負うか、10人が殺されるか」などというトロッコ問題的質問があった時、最小の被害で抑えるために1人を見殺しにする、という考え方もあるでしょう。

ただ今回の場合、2つの事象は同時平行線上ではなく、『今』と『未来』という時間的前後関係にあったわけです。

そうして考えた時に、今できる行動があるならば、今目の前で起きている事象を解決する方が先決だと思います。

確かにそれは、室井さんのような未来のことに考慮した確実性のある考え方ではなく、あまりに短絡的で不確実な答えなのかもしれません。

 

しかし、もしその時に行動を起こさなければ、きっと未来の私は後悔するような気がします。

そんな後悔を引きずったまま成功した未来は、果たして素直に喜べるのかと私は甚だ疑問でならないですし、そもそもとして、そんな未来は成功と呼べるのかも分かりません。

少なくとも私は、そんな後悔を引きずった未来は少し違うような気がします。

 

私は後悔を引きずって歩くような未来へ進みたくありません。

もちろん、それは甘い考えで、室井さんのように何かを犠牲にしてでも、『未来』に確実性を持たせた方が良い決断と言えるのかもしれません。

ただ、それでも後悔したくない私は、青島のように”あるかもしれない””あったかもしれない”『未来』を捨てて、行動を起こせる時に行動するという、『今』を重視する考えを推します。

 

それは、青島の言った言葉のように「自分が干渉できる事象に大きいも小さいもない」と思ったから、というのも一因として大きいところです。

”『未来』に起き得る可能性”はあくまで可能性の話であって、実際にはまだ起きていない事象です。

つまり、その想像している『未来』は現在において”ない”のと同義なのです。

であれば、「その事象には大きいも小さいもない」と言えるのはないでしょうか。

 

だからこそ、青島のように『未来』ではなく『今』を重視するべきだと思うのです。

 

もちろん、先ほども言ったように、個人個人によって考え方は違ってくるでしょう。

それこそ、私のように青島の考えを推す人、逆に室井さんの考えを推す人もいると思います。

皆さんはどちらの考えに近いでしょうか。

是非、今回ご紹介した踊る大捜査線第4話を見て、ご意見お聞かせください。

もの凄いカッコよくて、いいお話なのでハマると思いますよ?

それでは!


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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