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YouTubeの低評価数非表示について思うこと

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

さて、最近『YouTubeの仕様が変わる』という旨の話が何かと話題になっていますね。

何が変わるのかは下記の動画を見て頂ければ一目瞭然かと思いますが、要は『今までYouTube上で表示されていた低評価ボタンが押された数を非表示にする』というもののようです。

これに対し、HIKAKINさんやはじめしゃちょーさんなどの多くのクリエーターの方々がコメントを発表している次第です。

 

などと言っている私も、一応人数は少ないながらもYouTubeでライブ配信や動画をお届けしているYouTubeクリエーターの1人でもあります。

なので、今回は『低評価の数が非表示になる件』に関して、少しだけお話していこうかと思います。

 

まず最初に断っておこうかと思いますが、個人的に今回の件に関しては『賛成』も『反対』もしていません。

正直な話をすれば、私が皆さんにYouTubeでライブ配信や動画をお届けするのは、あくまでも私が好きだからやっていることであって、「高評価がついたからもっと気合を入れよう」とか「低評価がついたから今後はやめよう」とかは全く考えていません。

もちろん、私が何らかの悪いことをして低評価がついたのなら、そこはしっかりと受け止め、今後の反省点として指標にするべきだと思います。

しかし、これを自分で言うのもなんですが、低評価数のあるなしに関わらず、良い悪いの分別くらいなら自制はある程度効きます。

そういったことを考えると、低評価の数が表示・非表示のどちらにされていようと、正直私には関係のない話なので、今回の件に関しては『肯定』も『否定』も『賛成』も『反対』もしていません。

 

ではなぜ、このようなブログを書いているかという話になるかと思いますが、今回の件に関しては個人的に思うところ…と言うよりも、少し疑問を呈したいところがあったので、そちらをお話していきたいと思い記事にしております。

 

そもそも『低評価ボタン』の役割とは一体何だったのでしょうか。

動画内では『「視聴者が賛同しているか」「良質でおすすめすべきものか」「視聴者が見るべきか」を測る指標として設けていた』と説明されています。

しかして、今回それらの指標は「視聴者に見える形ではなく、クリエーターのみに見える形でもよい」「むしろ、視聴者に見えることで悪影響を及ぼす」という実験結果が出たことによって、視聴者からは可視化できないようにと仕様変更が施されました。

 

もちろん、「視聴者が良いと思っているか」「おすすめさるべきか」というのは、クリエーターないしYouTube運営者が見れれば十分な情報あって、視聴者には何ら関係のない話です。

また、「視聴の有無の判断材料となる」という点においても、動画内で説明されている通り、基本的に低評価の数が視聴の有無に関わることはないと言っていいでしょう。

さらに言えば、何も悪いことをしていないのにも関わらず、嫌がらせとして、あるいは、他の人の評価に便乗して意図的に低評価を押されてる人がいるのも事実ですから、その人たちの心的ストレスが軽減されるのも良いことです。

それに、今回の処置は多岐にわたる実験結果に基づいて出された結論ですから、私が何を言っても信憑性はありませんし、その時点で机上の空論にしか他なりません。

そうして考えると、今回の仕様変更は正しく問題ないものだったのかもしれません。

 

しかし、これは本当にクリエーターのためになるのでしょうか。

 

多くのクリエーターの中には「高評価」「低評価」という『誰もが可視化できる数字』だからこそ、色々な意味合いでバネにしている人もいたと思います。

例えば、高評価が多ければ「誇り」と思う人もいますし、低評価が多ければ「恥」と思う人もいるわけで、その思いがやる気を出させたり、自分のスタイルを考え直させたりするきっかけになることもあったでしょう。

もちろん、クリエーター側にはこれまで通り数字が可視化されるわけですから、そのきっかけが完全に削がれるというわけではないと思います。

 

ただ、案外人間というのは弱い生き物で、1人だけの状態になるとサボりがちになるものです。

しかし逆を返せば、「誰かに見られている」「誰かに期待されている」と思うだけで、人は頑張れる生き物であるということです。

これを心理学の中では『見物効果』『ホーソーン効果』と呼びますが、この心理学に基づいて言うなら、今回の仕様変更は上記のきっかけを減らす形になりかねません。

簡単に言えば、これまで「低評価が多いのは恥ずかしいから少なくする努力をする」としていたところ、低評価が非表示になったことで「低評価が多くても誰にも見られないから別にいいか」となってしまう恐れがあるということです。

そうなれば、クリエーターは努力をする機会を失い、そのもの自体のクオリティーは上がらず、それを見た視聴者も不快な気持ちになるという、クリエーターも視聴者も誰も得することのない『マイナススパイラル』が生まれることになります。

つまり、『誰もが可視化できる数字』であったからこそ、クリエーターが努力する機会を作り出していたとともに、「クオリティーの低いものを提供したくない」とする抑止力にもなっていたということです。

 

さらに言えば、今回の仕様変更は『クリエーターの心的ストレスなどを軽減させるための措置』として施されていますが、低評価の数字が誰かに可視化されずとも、心が折れる人は多々います。

なぜなら、アンチが行う行為は何も「YouTubeの低評価ボタンを押すだけ」とは限らないからです。

YouTubeのコメント、Twitter、5ch…など、挙げればキリがないほどアンチはネットの至る所に存在し、クリエーターが自らエゴサーチすれば、アンチなんて山ほど出てきます。

しかも、低評価はなぜそうした結論に至ったのかというプロセスが不明なため、そこまでの心的ダメージを被りませんが、気持ちが文字として可視化されるコメントやTwitter、5chなどは直接的原因が分かってしまうため、低評価をもらうよりも心的ダメージを被ります。

要は、アンチが書き込める場所が多く存在する以上、低評価の数字を非表示にしたとて、クリエーターの心的ストレスを軽減させることは難しいと言える、ということです。

もちろん、「あるよりマシ」という考え方もできますが、最終的に心的外傷、ストレスと被るのであれば、それは問題を先送りにしているだけにしか過ぎないと思います。

 

そうして考えた時に、低評価の数字を非表示にすることで誰が得をするのだろうか、と疑問が湧いてくるのです。

『低評価』という曖昧な数字だけで心的ストレスを被る一部のクリエーターのためだけに、その他のクリエーターの成長とやる気を阻害し、問題を先送りにするだけの、低評価数非表示という仕様変更は本当に必要なのか、と私は思います。

 

もちろん、クリエーターの心的ストレス軽減も大事ではあります。

しかし、そんな曖昧な数字だけに心的ストレスを被るクリエーターが何人いるのでしょうか。

また、「その人たちの心的損失」と「成長とやる気を持ち合わせるクリエーターの機会損失」を天秤にかけた時、どちらの方が損失的に大きいでしょうか。

YouTubeの運営者には、是非とも考えていただきたいところです。


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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