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怒ってくれる人の大切さ

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

さて、第22回目の時雨ブログ。

今回の話題は『怒ってくれる人の大切さ』です。

 

皆さんは最近誰かに怒られたことはありますでしょうか?

学生の方なら両親や先生に、社会人の方なら上司やお客さんに、怒られた或いは日々怒られている方も多いのはないでしょうか。

多分、今までの人生、生きてきた中で一回も怒られた経験がない方っていないと思います。

 

かく言う私も、子どもの頃はよく両親や先生に怒られてきました。

兄弟を泣かして母に怒られたり、授業中にゲームをして学校の先生に怒られたりと、私が何かやらかす度に幾度となく怒られた記憶があります。

 

当然、それら全ては私が悪い行為をしたから怒られていたわけですが、何かと幼かった私ですから、怒られていた当時はそれはもう反抗しました。

それこそ暴力とか手を出すことはあまりしませんでしたが、屁理屈をダラダラとこねては怒られ、その矛盾点をまた屁理屈をこねて返す、みたいな反抗の仕方をしていました。

 

今思い返せば、面倒くさいガキだったなと振り返るとともに、幼かった自分に対し恥ずかしさを覚え、顔を覆いたくなる話です。

 

そんな私も大人になるにつれ、精神などが安定してきてやらかすことも減り、その分怒られることもめっきり減っていきました。

社会人になってからは、私は運よく、いわゆる”ホワイト企業”に勤めることができ、仕事の小さなミスなどを指摘されることは多少あっても、怒られることはついになくなりました。

 

そんな仕事も手慣れてきた3年目、ミスなどもほとんどなくなった私は、注意されることもなくなり、その気の緩みから仕事への情熱の念が薄れていき、少しばかり手を抜くようになりました。

手を抜くとは言っても、ミスがないようにはしていますし、むしろ1、2年目よりも作業効率は格段に良くなってますし、その上肩の荷が下りて、気楽に作業ができるようになりました。

だから、私も「仕事ってこれでいいんだ」と思うようになり始めていたんです。

 

ただ、心のどこかで「本当にこれでいいのだろうか」、「もっとやれることもあるのではないだろうか」という手を抜くことへの疑問や恐怖心が浮かびあがってきたのです。

 

そんな時、私が普段のとおり寝ていると、ある一つの夢を見たのです。

その夢とは、1年目の時に指導役であった先輩に「怠けるな」と怒られる夢でした。

 

その先輩は普段から仕事熱心な方で、よくいろいろな人の仕事を手伝ったり、その仕事内容を細かく把握されている方でした。

そんな先輩だからか、私の指導役をしている時も結構、注意や喝を入れられることも多かったです。

その先輩が、いきなり私の夢に出てきて私を怒ってきたのです。

 

それは、やはり私の中で無意識のうちに手を抜くことへの疑問や恐怖心を持っていて、夢として具現化したのではないかと思います。

 

寝ていた私はハッと目を開け、飛び起きました。

夢の中の言葉は起きても頭から離れず、ずっとグルグルと頭の中を駆け巡っていました。

 

それほどまでに、「怠けるな」という言葉が胸にグサッと刺さっていたのです。

 

だから私は、その日から「根を詰め過ぎないようにしながら、できるだけ頑張ろう」と仕事に対してはもちろん、日常生活においても思い直すようになりました。

 

つまり結局何が言いたいかというと、怒ってくれる人がいるってありがたいよねって話です。

 

確かに、上司やお客さんに理不尽にキレられることもしばしばあります。

そういうのは別として、本当に自分のためを思って怒ってくれる人って、そんなにいないのではないのかなって、今回の夢のお話で感じました。

 

実際のところ、バレない程度に手を抜いていたこともあってか、その状況を怒ってくれる人はいませんでした。

だから、これでいいものだと勘違いしていた自分がいました。

しかし、夢であって現実ではありませんでしたが、私のその勘違いに気づき、私のために怒ってくれた先輩がいたからこそ、もっと頑張ってみようと思い直すことができましたし、今のこうして頑張ってお仕事を続けられるのではないのかなと思います。

 

その人のために怒るって、かなり勇気のいる行為だと私は思います。

その人のためだからこそ、「気を悪くさせたら悪いな」とか、「嫌われたらどうしよう」とかいろいろ考えてしまうと思うのです。

そんな中で「でもその人のためだから」と勇気を振り絞って、いろいろな感情を押し切ってまで怒れるというのは、とても素晴らしい行為だと思いますし、中々そういう方って貴重な存在なのではないかとも思います。

 

それを考えたら、幼かった私を幾度となく怒ってくれた両親や先生には感謝ですね。

 

でも、怒られた本人ってなかなかその気持ちが伝わらなくて、「うるさいな」とか「面倒くさいな」とか思ってしまうものなんですよね。

別にそれが普通の感情と言えばそれはそうですから、それに対して何ら問題だとは思いませんが、しかし、親身になって怒ってくれる人がどんな気持ちで自分に対して怒っているのか、一度考えてみるのもいいのかもしれません。

 

もしその気持ちを考えることができたのなら、いろいろな発見が出てくると思います。

そうすればきっと、自分のことや怒ってくれる人のことに気づく部分が出てきたり、思いやりや感謝の気持ちを持つことができたりして、お互い気持ちよく過ごせるのではないのかなと思います。

 

だから、怒ってくれる人って意外と大切な存在なんです。


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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