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MOROHAを聞いて思った「未知に対する期待と不安」

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

さて、今回の時雨ブログは『未知に対する期待と不安』というようなテーマでお話をしていきたいと思います。

 

皆さんは、自分の将来のことについて問われた時、期待と不安、どちらの方が強く現れるでしょうか。

 

人は基本的に未来のことなど予測がつかないものです。

だからこそ、将来・未来という未知の世界に「今後こうなっていたらいいな」という期待感「今後どうなっているのだろう」という不安感を持ちます。

 

この期待感と不安感というのは表裏一体の感情で、よく「期待とは裏腹に不安が募る」などと言う言葉が使われるくらいです。

 

しかしながら、人というのは臆病な生き物であり、どちらかといえば不安感の方が強く現れることの方が多いような気がします。

そして、人は安定を好むため、その不安感から現状維持を選びがちになります。

 

ただ、これは特段誰に責められたことではありません。

生物には防衛本能というものがありますから、これは生物として極々当たり前なことなのです。

 

 

それにしても、なぜいきなりこんな話をしているのか、とお思いでしょう。

その理由は、最近、MOROHAさんに対する熱がぶり返したことにあります。

 

MOROHAさんというと、以前ブログでも紹介したことのある二人組アーティストですが、少し保温状態にあったMOROHAさんに対する私の熱が、ここ最近になってまたぶり返してきたのです。

 

そんなMOROHAさんの楽曲には『遠郷タワー』という曲が存在します。

『遠郷タワー』は、遠い故郷を思いながらも、夢を追うために上京した人たちの葛藤や奮闘を描いた曲で、以前紹介した曲とは打って変わってバラード調の曲になっています。

 

そんな曲の中には次のような歌詞があります。

 

未来が見えない それが不安で
未来が見えない それが救いだ

 

私はこの歌詞にすごく共感を覚えました。

 

先ほども言いましたが、私たちは未来など分かりはしません。

だから臆病な私たちは「失敗したら嫌だから」と、見えない先のことを不安に思い、その結果、安定性を重視し、現状維持を望みます。

 

ただ、その裏には「もしかしたらいい方向に進むかもしれない」という期待も見え隠れします。

それは紛れもなく、この先が見えないからこそ生まれてくるものであり、それが不安を大きく上回った時、あるいは、それに少しでも賭けてみようと思った時、人はそれを前へと進む糧とすることができるのです。

 

それはまさしく、不安という闇の中に光る一筋の栄光の光、救いの手でもあるのです。

 

しかし、そんな救いだけで立ち上がれるほど人は単純ではありません。

何度も言う通り、人間は臆病で、先が見えないと不安で怖気づく生き物なのです。

 

『遠望タワー』には、先ほどの続きにこんな歌詞が並びます。

 

だけど本当は察しがついてきてる
反吐が出る位に下らない平凡な将来
それも悪くない なんて言える程強くない
絶対に良くない と言える程の意思はない
何度なくなんとなくの選択を繰り返し
えげつない速度で過ぎていく毎日
訳もなく泣けてくる涙一雫

 

先が見えないことで生まれた期待という希望の光、救いの手ですが、それらを糧に前に進んでもなお、楽園という名のこの先の道は見えることはありません。

現実とはそこまで甘くないのです。

そこで私たちは、やはり先の見えない不安感から弱気になりがちであり、「このまま続けても無意味なのではないか」「ここでやめた方がいいのではないか」と無限に広がる葛藤が私たちを襲います。

そして、そこには一切の自信なんてありません。

なぜなら、人は未来を見通す力を持っていないのですから。

 

それでも、この先の未来を自らの手で選び取るほかありません。

だから、正解が分からないなりに、「多分こっちなのではないか」という曖昧なその期待に賭けて、人は歩き出すことができるのです。

 

そうして幾度となく期待に賭けて歩き出しますが、その度にその期待が不安へと変わっていき、そんなやり取りを繰り返していく日々は、本当にあっという間に過ぎています。

先ほども言いましたが、人間は期待という希望の光だけで、その裏にある不安を押し殺すために立ち向かえるほどそこまで強くはありません。

いつしかそんな日々に耐え切れず、涙を流すこともあると思いますし、やめてしまう、逃げ出してしまうこともあるかもしれません。

 

でも私は、それでもいいのではないかと思うのです。

当然、そこで諦めず、その先の未来に期待して頑張るというのは大事なことです。

ただ、だからといって、諦めた人間がダメな奴なのかというとそれは違います。

なぜなら、こういう捉え方もできるからです。

諦めた先の未来に期待をした、と。

 

確かに、先が見えないことを言い訳にしているようにも聞こえますが、そもそも未来を選び取るとは、こういうことではないのかなと思うのです。

 

だから、諦めた本人も自ら諦めたと悲観するのではなく、この先の未来に期待をした、と明るく考えればいいのではないかと思います。

 

 

……まあ、結局何が言いたいのかと言いますと、先が見えずとも悲観するなかれ、ということです。

 

先が見えずに不安に感じて、その不安感に時には涙して、迷って迷って迷った先にゴールは見えなくて、その選択に後悔して、また涙を流しても、その裏には必ず期待という希望の光、救いの手があります。

その期待に裏切られるのが怖い、だから信じたくない……というのは分かりますが、行きついた先には必ず期待が待っているわけですから、自らその裏手にある不安にわざわざ飛び込んで、悲観的になることもないと思います。

 

先が見えないのなら、悩んでいても仕方がないですし、人生一発勝負とも言うわけですから、折角なら不安視して悲観するより、期待する方に賭けてみてはいかがでしょうか。


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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