• 時雨ブログ

ようこそ、雨宿りのひとときへ! ゆっくりしていってね!          

大事なのは思考力。~著名人の発言も鵜呑みにするべからず~

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

さて、私が先日YouTubeで動画を漁っていると下記のようなものを見つけました。

上記の内容は、「人口減少に対して移民を受入れることで解決すべき」と語った”ホリエモン”こと堀江貴文氏を”中共スパイ”としたヘイト記事に対する憤りを露にしたものでした。

もちろん、誰のどういった意見を信疑するかは各個人に委ねられた権利ですから、彼が信じる事柄に私が意見する義理は到底ありません。

 

ただ、本動画の本質は上記内容についてではなく、タイトルの通りに『偉人や成功者の発言に耳を傾け、批判をしてはならない』と伝えることにあったと思います。

確かに、私たちが偉人や成功者に対して”スパイ”などと揶揄することで、そうした人たちの国外追放を促してしまうことになるとすれば、敢えて自ら国益を逃しているのと同義であることは紛れもない事実ではありますから、安易に他者を侮辱して居心地を悪くするのは間違いと言えます。

 

しかして、偉人や成功者の発言が須らく正しい発言かと言えばそうではなく、そうした人たちも”一般人”と呼ばれる私たちと同様に皆等しく間違いを犯す”人間”なのです。

もちろん、私たちとは一線を画す実績を持ち合わせている以上、ある程度の敬意を払って耳を傾けるべきなのでしょうが、それ以前に彼らも間違いを犯す人間である以上、動画の本筋のように『批判すべきでない』という意見は少々早計過ぎると言わざるを得ません。

むしろ、そうした敬意を払い耳を傾けるべき存在、言わば”大衆の耳に声が通り易い存在”であるからこそ、間違った発言に私たちが大きな声で指摘しなければ誤解は世間へと大きく広がることとなり、いづれ敬意を払われる対象から誤解を生みだした大罪人へと成り下がり兼ねません。

そうして考えてみれば、『批判すべきでない』という本動画の主張はヒーローは必ずしも正義だと信じて疑わない子供のような安直な考えでしかなく、罵詈雑言は抜きにしても多少の批判はあるべきだと言えるでしょう。

 

事実、本動画で話題に挙がった堀江貴文氏の発言には私も同意でき兼ねるものがあります。

 

確かに、人口減少の打開策として考えてみれば、堀江貴文氏の言うように「移民の受入れ」が最も簡単かつ効率の良い手法であることは間違いないでしょう。

しかし、それはあくまで人口、即ち”日本に住む人の数”という言葉の意のままに表面的に捉えた場合における増加でしかなく、”日本”という国そのものの未来を全く考えられていない政策です。

 

そもそも、国がその国として認められ成り立っているのは、その”国”の名が付けられた場所があるから…などという器的発想ではなく、その国が作り出した歴史や文化の中で生きる人々がいるからです。

つまり、日本が”日本国”として存続できるに足る所以は、日本という孤独な島国の中で他国と交じり合うことなく、何千年という時の中で自らの手で歴史と文化を作り上げた純粋な”日本人”の血が流れる人々が暮らしてこそのものなのです。

 

仮に「人口増加」という目の前の目標を成し遂げる為に安易に移民を受入れしまえば、確かに先の通り、そうした目標は容易に達成することが出来るのでしょう。

しかし、そうした目標を成し遂げる為に公に移民を受入れたことによって、先祖代々の”日本人”が作り上げてきた歴史と文化は侵され腐敗することになり、やがて移民と交じり合うことで日本国は他国に脅かされ、”純血の日本人”は数少ないものとなってしまうことでしょう。

『かつての日本の歴史と文化を守る純血の日本人がいること』こそが”日本国”足る所以であるのにも関わらず、上記のように他国に脅かされた日本は、それ即ち”日本国”ではない別の国であるのと同義になってしまうと言えます。

そうしたことを考えず、安易に「人口減少」という目先の目標ばかりに気を取られて「移民の受入れ」を提案した堀江貴文氏は、上記のような私の尺度で正直言わせてもらえれば、”スパイ”と揶揄されても致し方ないと言わざるを得ません。

 

もちろん、冒頭にも述べた通り、発言の信疑は各個人に委ねられた権利ですから、本動画の彼のように堀江貴文氏の発言を信じても構いませんし、本動画のように発言する彼の言葉を信じるコメント欄の住人のようになっても構いません。

逆を言えば、罵詈雑言は別としても本ブログの私のように多少の批判をしても構わないでしょう。

 

ただ、本ブログで最も伝えたいのは”絶対的忠誠者”は作らない方が良いということです。

今回ご紹介した動画の彼は『偉人や成功者の話には敬意を以て耳を傾け、批判をしてはならない』と語っていますが、事実として彼が崇拝する堀江貴文氏の発言も間違っていたように、偉人や成功者も人間であるが故に間違えた発言をすることもしばしばあり、偉人や成功者だから全て正しい発言をしている…などという訳ではありません。

 

もちろん、私たちのような一般人と比べてしまえば、彼らが成し遂げた実績による人間的信憑性は多少なりとも高くつくことでしょう。

しかしながら、だからと言って「偉人や成功者だから」「尊敬している人だから」「悪い噂がある人だから」「嫌いな人だから」…などと発言者によって高を括り、安易に他者の意見を鵜呑みにして信じ疑うというのは、言ってしまえば思考停止しているのと同義です。

そうした思考停止は特別高い思考力を持ち合わせ、かつ、”情報社会”と呼ばれる現代に生ける人間の生き方として酷く滑稽なものに思えてきます。

 

だからこそ必要になってくるのは、間違える可能性がある”絶対的忠誠者”を見つけ、頼り、鵜呑みにすることなどでは決してなく、得た情報を分解した上で深い部分まで自身で考え、調べ、判断する思考力であると考えます。

先の通りに人間は他の動物と比べて高い思考力を持ち合わせており、今では”情報社会”とも呼ばれる高度成長を成し遂げた程のものです。

そうした社会に生きる私たちは容易に情報を入手でき、思考を巡らせて判断できる力を持っているはずであり、そうした力を行使しないのはあまりにも勿体ない話ではないでしょうか。

高い思考力、情報力を持った私たちは他者の意見を鵜呑みにして賛同するばかりではなく、今一度、得た知識を以て自身の力で自身なりの意見を見出すべきなのではないでしょうか。

 

それでは。


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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