皆さん、おはこんばんにちは。
雨宿時雨と申します。
今回の時雨ブログは「日本の接客について」ということでお話していきたいと思います。
前回の時雨ニュースの方で取り上げさせていただきましたが、先日とあるお弁当屋さんでお金を投げたり、暴言を吐いたりなどした男性らのニュースが、“カスハラ”だとして話題となりました。
このニュースについて思うことは、時雨ニュースでお話しておりますので、是非見て頂ければと思いますが、今回はこのニュースを受けて、「日本の接客」というものについて考えたことがありますので、そちらを書いていきたいと思います。
さて、日本の接客では「お客様は神様だと思え」という言葉をよく耳にすると思います。
これは「お客様は神様だとして、失礼のないよう、丁重に扱え」という意味になります。
このことから、日本の接客においては、『神様であるお客様が一番偉く、もてなす側の店員は愚民同然の一番下の身分である』、ということが伺えます。
最近では、この言葉をいい様に解釈し逆手に取った客が、お店で横柄な態度を取ったり、今回のような、いわゆる“カスハラ”とも取れるような態度を取ったりなど、暴挙に出ることもしばしばです。
しかして、日本の接客の前提である『お客様は神様』というスタンス、もっと言うなれば『お客様が上、店員は下』という考え方は正しいのでしょうか。
私はこの問いに対して、自信をもって「ノー」と答えます。
確かに、店員側からすれば「お客様からお金を払って貰っている」という立場であり、そこに対しての感謝はあるべきだと言えましょう。
ただ、それは裏を返せば、お客は「店員から様々なサービスを受けている」という立場であって、お客も店員と同様に、そこに対しての感謝はあるべきだと思います。
そもそもとして、私たちが何らかのサービスを受ける際に、お店にお金を支払っている理由は一体何でしょうか。
お金を支払うことで店員から感謝されるためのものなのでしょうか。
当然、この答えも「ノー」です。
私たちが普段支払っているお金は、決して店員に感謝され、“過剰な接客”を受けるためのものではありません。
私たちは、店側による「様々なサービスの提供」の対価として、お金を支払っているのです。
しかし、日本の接客の前提である「お客様は神様」という考えがある故に、「その様々なサービスの中に“感謝”という項目が含まれている」、と思われがちになってしまいます。
大きな声で言いましょう。
これは大きな勘違いです。
例えば、飲食店であれば、「食べ物や飲み物を提供する」というサービスの対価としてお金が支払われますし、衣服店であれば「衣服を提供する」というサービスの対価としてお金が支払われます。
また、テーマパークであれば「遊具や必要最低限の接客の提供」というサービスの対価としてお金が支払われます。
つまり、そこに“感謝”というサービスはもとより含まれていないのです。
もっと現実的な話をしましょう。
先ほどまで私は私たちが支払っているお金は、「お店からサービスを受けるための対価である」と言いました。
では、具体的にその対価とはどのようなもので構成されているのでしょうか。
答えは非常に簡単です。
ズバリ、その店の水道光熱費や人件費、材料費、修繕費等の様々な費用と、ほんの少しの利益で構成されているのです。
ここで勘違いしてほしくないのは、『人件費=“感謝料”ではない』ということです。
たまに『人件費=“感謝料”』と考えられる方もいらっしゃいますが、人件費はあくまでも、店員の”時間”を買うために出しているお金です。
決して、店員がお客に“感謝”し、“過剰なサービス”“好意ある行為”を提供するために出しているお金ではないのです。
つまり、この観点から見ても、私たちが支払っているお金は、あくまで「その店が提供するサービスへの対価のみ」であり、「そのサービスの提供に加え、余分に感謝されるために支払われるものではない」、ということが分かります。
そして、上記のことを踏まえた上で、店員と客の立場を考えるのだとすれば、店側がサービスの提供をしたのに対して、お客がお金を支払っている時点で両者の関係は同等、それ以上でもそれ以下でもない、両者ともにwin-winな関係なはずであると考えられます。
さらにそれを踏まえ、店員のお客への“感謝”について考えるのだとすれば、そこに存在する“感謝”はお金が支払われていない“無償の付加価値”であると言え、それはサービスの提供の+α部分であると考えられます。
そこでお客側がそんな“感謝”という“無償の付加価値”を求めてしまったら、今まで『サービスの提供=支払金』で対等な立場であった関係が崩れ、そこに付加価値が生じることで『サービスの提供+“感謝”>支払金』=『店員>お客』となり、店員の方がお客より立場は上になってしまうのです。
このことから、『お客様は神様』『お客様が上、店員は下』というスタンスは大本から間違っており、むしろ“感謝”という“無償の付加価値”をつけることで『店員が上、お客が下』という立場に成り代わる、ということが伺えます。
そして、そうなれば、そもそもお客がサービスに対して文句を言う筋合いはもとよりなかった、ということも分かってきます。
それなのに、店員に対し“感謝”を求めて文句を言うのは、少し無粋でありますし、お門違いも甚だしく感じます。
しかして、ここで疑問になってくるのは、『なぜ“感謝”という“無償の付加価値”が生まれたのか』ということです。
その理由は至ってシンプルで、店にたくさんのお金を落としてもらうためです。
たくさんのお金を落としてもらう為には、当然、たくさんのお客が必要になります。
そして、そのお客をたくさん増やすためには、当然、提供するサービス自体に大きな価値があることも重要な要因ではありますが、“感謝”という“無償の付加価値”もその1つの要因となり得るのです。
考えてみればそれは至極当然のことで、“感謝”され気持ちの良い接客を受ければまた来たくなりますし、逆に“感謝”がなく接客が悪ければ、提供されるサービス自体が良かったとしても来たくなくなります。
なので、できるだけお客を増やすためには、できるだけ“感謝”の気持ちをもって良い接客をしなければならなくなるのです。
だから、店側はお客にはできるだけ良い接客を、という理念になり、『お客様は神様』というスタンス、“感謝”という“無償の付加価値”が出来上がったのです。
そして、店側はそれができない店員はクビにして、それを恐れる店員はクビになりたくない一心で、心に思っていなくてもお客にはできるだけ良い接客をとなるのです。
ただ私は、本当にそれでいいのだろうか、と少し疑念を抱いてしまうのです。
今の現代において、本当に“感謝”の気持ちをもって接客している店員は何人いるのでしょうか。
きっとなんの感情も抱いておらず、仕事だからといって建前で“感謝”している人がほとんどだと思います。
確かに、“感謝”を無償で受け取れる、そういった人情味溢れる姿が日本のいいところなのかもしれません。
しかし、店員もお客も、相手に対して本当の意味で“感謝”をする意味を理解していない人が多くなってきている中で、未だに“無償の付加価値”をつける必要性は本当にあるのでしょうか。
そんな疑念を払拭する事実を、ここで1つお伝えしましょう。
日本では、前述した通り“感謝”という、いわゆる“良い接客”に対しての代金がなく、“無償の付加価値”での提供となっていますが、実は外国には『チップ制度』というものが存在します。
この『チップ制度』というのは、“良い接客”をしてくれたことへの感謝の意を込めて、お客が“良い接客”をしたくれた人に対してお金を支払うという制度であり、これはれっきとした“感謝料”となっています。
確かに、必ず払わなくてはならないという雰囲気はありますが、実際のところ気持ちの問題なので、サービスが悪ければ払わなくてもいいものになります。
今の日本では“感謝”を無償にすることで、お客を増やそうとしており、お客にとってはいいことでありますが、店員が損をする事態となっております。
しかし、海外のように『チップ制』を導入することで、「いい接客をするとチップを貰える」という店員のやる気の向上へと繋がり、さらには、店員のやる気が向上したことで自然とサービスも良くなってくるので、お客にとってもいい方向へ進みます。
そして、そこには店員が上でお客が下などの優劣もなくなり、対等な立場でいられることができます。
確かに、今の状態でも日本の経済、お客と店員の関係などは保てていますが、今のままでいけば、いつしか店員の糸も切れ、いずれ今の状態が保てなくなるような気がしてなりません。
であれば、やはり、日本も海外と同様、いい接客してほしければその分のお金を払う、という『チップ制度』を導入するべきなのではないでしょうか。
まあ、なんにしろ、今の日本においての心持ちとしては『お客様は神様』『お客が上、店員が下』というものなのでしょうが、実際の現状としては、先述した通り『店員が上、お客が下』というのが実状です。
その状態でお客が店員に威張るのは、相当なお門違いですから、やめた方がいいでしょう。
何より、店員や客という立場としてではなく、1人の大人として、そして、1人の人間として恥ずかしい行為ですからね。
威張るのは結構ですが、その自覚は持ちましょう。
店員とお客、双方のより良い未来に期待して、今回は以上で終わりにしようと思います。
それでは。
さて、今回はここで終わらせていただきます。
今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。
それでは、皆さんまたお会いしましょう。
さようならー。
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