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家に出没したゴキブリで気付けた『鈍感であることの大切さ』

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

さて、先日あるお方が私の家にいらっしゃいました。

そのお方はこの蒸し暑い時期に活発的で、見つかると羽を広げて特攻してくるか、もの凄い逃げ足で駆けていくかの2パターンいるあの黒光りしたお方です。

この説明で何となくお分かりいただけたと思いますが、所謂“G”がご来訪されたのです。

 

私のYouTube配信をご覧頂いている皆さんならご存知かと思いますが、私は大の虫嫌いで、特にゴキブリは近づくことすら憚れるほどこの世で最も毛嫌いしている生物です。

そんな虫嫌い、ゴキブリ嫌いな私の前にゴキブリ1匹現れるようなことがあれば、私は真っ先に悲鳴を上げるか、失神とはいかずともその場でフリーズしていたことでしょう。

いやはや、お恥ずかしい話ですが…(苦笑。

 

しかして、幸いなことに今回はそのようなことはありませんでした。

と言うのも、今回ゴキブリが現れたのは私の家族の下であり、その後何事もなかったかのように処理されたために私はゴキブリの存在さえ知らなかったのです。

後にこの事実を家族の話で知り、『私の部屋でなくて良かった』と内心胸をなでおろしたのでした。

 

…とここまでの話ならば、あまりにもありふれた平凡な話。

流石の私もわざわざブログに書き起こすようなことはしません。

実は先の話の後、家族から更なる驚愕の後日談を聞かされたのです。

 

なんと……

 

状況の説明を簡単にさせていただくと、私がこの後日談を聞かされたのは夕食を済ませ、リビングでのんびり寛いでいる最中での出来事です。

そして、夕食前の私はランニングでかいた汗をお風呂で流している最中であり、その前は当然ながらランニングへ出かけておりましたから家にはいませんでした。

それを踏まえた上で、家族の後日談であった『先ほどまで私がいた場所』という言葉を紐解くと、ゴキブリが出たのは「私が家にいる間にいた家族との共有スペース」であることが分かります。

ゴキブリが駆除されたのは言葉通りに過去の話ですから、当然リビングではないことは明白的です。

つまり、ゴキブリ様がご来訪された場所は『お風呂場』だったのです。

 

この話を聞いて私はゾッとしました。

私がお風呂を出てから後日談を聞かされるまでに左程時間は経っていません。

経っていたとしても約30分程の時間しか経過していないと思われます。

通常的に考えれば、G様は私がお風呂に入っている時もそこにおられたことになるでしょう。

そうして考えているうちに、「なぜ気付かなかったのか」と自分自身の鈍感さにゾッとしたのです。

 

しかして、今回の件ではそうした私自身の鈍感さに救われたのも事実です。

考えてみれば、お風呂場という全裸無防備状態の閉鎖空間でG様と二人きりであったわけです。

もし今回私がG様のお姿に気づいていたのなら、先述した通りにどうなっていたか分かりません。

発狂していたか、泣き崩れていたか、はたまた全裸のまま半狂乱で外へ飛び出していたか…。

考えるだけでも恐ろしいものだったわけですが、今回は私の鈍化さ故に大事には至りませんでした。

 

こうした『鈍感さ』というのは時として必要になり得ます。

と言うのは、基本的にこの世の中は『知らないでいる方が幸せであること』の方が多いのです。

例えば、”人の心”などというのはその良い例かと思います。

 

通常的に人は理性によって本音を心に留めているものです。

そのため、人が何を思い考えているのかというのは、「表情」や「声色」…といったあくまで”表面的な情報”のみでしか知ることができず、その”実際のところ”を知ることはできません。

しかし、そうした”不確定さ”の裏には自身の憶測に基づく解釈が求められるため、言ってしまえば、自身に都合の良い解釈の仕方も出来てしまうものなのです。

 

もちろん、”不確定”であるが故に人によっては都合の悪い方向に考えてしまうこともありますし、時にその解釈によって問題が引き起ることも否定はできません。

しかしながら考えてみれば、本音を隠す瞬間というのは大抵本人、またはその対象者にとって都合の悪い場合にのみ発生するものであって、知ったところで利益を被ることは少ないと言えるでしょう。

むしろ、人が理性的に本音を隠すところから鑑みても、互いに気分を害するリスクがある…など、互いの不利益に繋がることの方が多いのではないでしょうか。

そうして考えると、”人の心”というのは知らない方が幸せなものだと言えるのです。

 

とは言え、反対に『知っていれば得していたこと』というのがあるのも事実です。

しかして、それを知らずに後悔するのは、あくまでそれがあったことを知ってからであって、それがあったこと自体を知らなければ後悔することもないのです。

つまり、『知っていれば得していたこと』自体を知らない方が幸せとも言えるのです。

 

『鈍感さ』は知らず知らずのうちに、目に見える『知らないでいる方が幸せであること』を排除してくれるだけでなく、良くも悪くも時に『知っていれば得していたこと』すらも排除してくれます。

私はこうした『鈍感さ』を持っていたが故に、今回はG様のお姿に気づかずに事なきを得ました。

今回の一件は『知らないでいる方が幸せであること』を排除してくれている『鈍感さ』に改めて気付けた体験だったと思いました。


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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