• 時雨ブログ

ようこそ、雨宿りのひとときへ! ゆっくりしていってね!          

約2か月も姿を消した私はインターネットに想いを馳せていた。

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皆さん、おはこんばんにちは。

雨宿時雨と申します。

 

…ということで、改めましてお久しぶりでございます。

気付けば私がこうして姿を現すようになって早1週間程の時間が経過いたしました。

 

事態を整理すれば、2023年5月10日に投稿した病みツイート紛いな呟きを皮切りに、本ブログはもちろん、YouTube等の他メディアも全く更新されることなくなっておりました。

そうして世間様から完全に姿を消していた約1ヶ月半もの時を経て、2023年6月30日に行ったYouTube配信を機に姿を現し、何とかこのように戻ってきた次第であります。

因みに本ブログに至っては今回の投稿で約3か月ぶりの更新となるようです。

公的なことを言えば、このブランク期間中にドッキリ企画的なことも始動しておりましたが、詳細は先のYouTube配信にてお話いたしましたので割愛いたしましょう。

 

そんな低浮上もいいところな私のことを皆さんは覚えていますでしょうか。

覚えていていただいている方がおられるのであればそれ以上に幸いなことはございません。

 

とは言え、丸っきり更新が途絶えたことで私の身を案じてくださった方も中にはおられるかもしれません。

そうした方の為にも、この場をお借りいたしまして改めてお詫び申し上げます。

この度は皆さんに一報もすることなく、約2か月間も一切の更新を途絶えさせ、皆さんにご心配をお掛けしたこと申し訳ございませんでした。

また、私の身を案じてくださったこと、私のことを信じて待ってくださったこと、誠にありがとうございます。

 

さて、この約2か月間もの間で私の身に何が起こったのか、皆さんに対する説明責任が私には多少なりとも課されることでしょう。

しかしながら、先日のYouTube配信でもお話した通りにズルいことは承知の上で申し上げますと、『何処まで話して良いものなのか』というライン引きが私にも判断し兼ねる部分があるのが正直なところです。

そうしたライン引きを考慮した上でお話するのなら、”一身上の都合”という言葉を用いるのが最適と言えるでしょうか。

 

もっとも、これでは何があったか寸分足りも分かりませんし、説明にもなっておりませんから、本来もう少し具体性を持たせるのが筋ではあることでしょう。

そういう意味で強いて別の言葉を用いるのなら、”病み期の克服にあたっていた”とでも言いましょうか。

或いは、”自らの看病にあたっていた”とでも言った方が分かり易いかもしれません。

どちらにしても、前述しているYouTube配信以上のことはお話できませんので、気になる方はそちらをご覧いただければと存じます。

また、ブログを書ける程には体調面にも何ら問題はございませんので悪しからず。

 

…ところで、私が空けていたこの約2か月間、私自身を取り巻く環境禍の中で変化した事柄がいくつか存在します。

その中で取り分け大きかったのは『仕事を休職したこと』『しばらく車やバイクに乗れなくなったこと』の2つが挙がることでしょう。

 

詳細は抜きに現状だけを述べますと、YouTube配信でもお話いたしました通り、ここ1ヶ月ほどの私は仕事を休職してる上、しばらく車やバイクに乗ることを禁じられた為、ブログや動画を編集しながら自宅でのんべんだらりとした日々を過ごしております。

更に追記して言えば、残り1か月ほどで休職期間も終了するため、現在就いている仕事を確実的に辞める方向で話が進んでおります。

つまり、この約2か月の間で私は実質”ニート”に成り下がったような生活を送っているということでございます。

 

何故故にそうしたことになってしまったのか、察しの良い方は上記2つの事実に基づいて明白なものになるかもしれません。

しかしながら、先の通りにズルい話ではあることを承知の上で申し上げれば、”一身上の都合”或いは”自らの看病”ということで事を通しておこうかと存じます。

…ということで、実質的に”ニート”に成り下がってしまったのは紛れもない事実なわけですが、起こってしまったことは仕方がありませんので、今後どのように生活していくかは前向きにのんびり考えていきたいと思っております。

 

さて、先述の通りに本ブログは約3か月ぶりの更新となります。

本当に久方ぶりのブログでございますから、暗い話ばかりしていては私はもちろん、皆さんも楽しくはないでしょう。

ここからは少し気分を変えて、以前と変わりない私節でブログをお届けしていこうかと存じます。

 

実は完全に姿を消していた約1か月の間、私は初めて全くインターネットに触れることがない生活をしておりました。

どのようにしてそのような経緯に至ったかという詳細は差し控えますが、取り分け心の安寧を取り戻すための処置を施していたとでも解釈していただければ想像に難くはないでしょう。

兎にも角にも、駅のホームから自動販売機に至るまで、ありとあらゆる場所や物にインターネットが取り込まれている現代社会において、『約1か月もの間で全くインターネットに触れることがない』という事実は正しく偉業(異形)と言えるのではないでしょうか。

しかして、そうした”脱インターネット生活”はライバーやブロガーを趣味とする『一クリエーター』としての私、或いは、日々の日課のごとくYouTubeや他サイトを徘徊する『一閲覧者』としての私にとってすれば、かなりの苦行であったことは言うまでもありません。

 

”インターネット社会”を完璧と呼べるまでに構築した現代社会では、日々多くのクリエーターの方々が自身のコンテンツや作品をSNS等の様々な形で世に送り出し、流行を生み出しております。

そうした光景は『一クリエーター』である私にとってすれば、競争心や嫉妬心を煽る一種の欲求に対する起爆剤にもなり得り、或いは、『一閲覧者』である私にとってすれば、好奇心や探求心を煽る一種の欲求に対する緩和剤にもなり得るものです。

つまり、私にとっての”インターネット”とは、それだけで人間足る所以とも言える”自己欲求”を自ずと生み出し、発散することを可能にすることができる画期的なシステムなのです。

 

もちろん、”インターネット社会”と呼ばれる現代より以前の時代からそうであったように、インターネットがなくとも「~がしたい」などという自己欲求は自ずと生み出され、そうした欲求を解消する術は多岐に亘り存在します。

例えば、インターネットが発展した現代においては様々な事柄のwebサービス化が進んでおりますが、本を読みたければ電子書籍などと言わずに実物の本を買って読めばよいですし、映画が見たければサブスクなどと言わずに実物のディスクを借りて観ればよいわけです。

当然、現代社会における出来すぎた利便性という点については損なわれてしまう結果となりますが、インターネットがなければ必ずも欲求を満たすことができないというものではありません。

 

しかして、先の”利便性”という言葉を用いれば、私にとって欲求の生産と消費を同時に行えるインターネットというシステムは、他では賄うことができない利便性を兼ね備える代物であります。

そうした事実を知ってしまっている以上、他では代替できない利便性を持ったインターネットを求めてしまうのが人間という生物の性というものでありましょう。

 

また、先の”代替できない”という言葉に着目して考えてみれば、基本的には私の欲求はインターネットでなければ代替できないものが主でございます。

『一クリエーター』としての私の欲求は「他クリエーターの方々の作品に負けないコンテンツや作品を作ってSNS等に投稿すること」というものであり、『一閲覧者』としての私の欲求は「自身が興味のあるコンテンツや作品を逃さず確認すること」というものです。

 

先の通りにインターネットが発展した現代社会においては、他クリエーターの手によって日々欠かすことなく様々な形で様々なコンテンツや作品が世に産み落とされております。

そうした状態にある中でインターネットへの接触を禁じられた『一クリエーター』としての私は「他クリエーターとの差が開いてしまう」という、『一閲覧者』としての私は「自身の興味あるコンテンツや作品における流行に私だけ置いてかれてしまう」という”焦り”を感じておりました。

こうした”焦り”に対しては「他の欲求で上書きする」などという代替的な荒療治をしても無意味であって、インターネットでなければ欲求を解消することはできないことは皆さんもご察しいただけることでしょう。

 

このように欲求と利便性という点から代替できない”インターネット”というシステムへの接触を禁じられ、約1ヶ月もの間に亘って使用しなかった今回の体験は、私にとって「発作が起きなかったのが奇跡的」と思える程には苦行であったと言えるでしょう。

 

しかして、こうした今回の体験の中で私自身でも意外だったのは、インターネットへの接触を禁じられたことで先の通りに『”焦り”を感じた』ということです。

『一クリエーター』としての”焦り”はともかく、「流行をあまり気にすることはない」と自身で感じていた私が『一閲覧者』として「私だけが流行に置いてかれてしまうのではないか」という”焦り”に囚われたのは、その意外性にやはり驚きを覚えざるを得ませんでした。

 

昨今のインターネットはトレンドの移り変わりが激しいと言われますが、それは「インターネットがより発達したことによって情報の流動性がより活発化したことにあるのではないか」と私は分析しております。

そうした傾向にあるのは、昨今のTwitter等のSNSにおけるタイムライン機能やYouTube等の動画サイトのオススメ機能にて、私たちが情報入手を図る前にある程度の情報を手に入れることが出来ている様からも鑑みることができると思います。

 

今回の体験の中で感じた”焦り”は、そうした昨今のインターネットを粗方使いこなせていたが故、自身でも知らぬうちに『トレンドを追う』という行為が染みついてしまっていた為に、「流行に乗り遅れてしまう」などとという意外な反応が自身の中であったのではないでしょうか。

そうして考えると、インターネットの”利便性”は良い部分だけに留まらず、自身の人格をも知らぬうちに変えてしまうという”怖さ”も兼ね備えているのかもしれません。

 

くれぐれも皆さんはインターネットに使われないように注意しましょう。

それでは。


さて、今回はここで終わらせていただきます。

今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。

それでは、皆さんまたお会いしましょう。

さようならー。

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