皆さん、おはこんばんにちは。
雨宿時雨と申します。
さて、1か月間ほど旅行の様子をお伝えしてきた時雨ブログも終わり、久しぶりに通常通りの時雨ブログでございますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私はと言いますと、気が付けば風も冷たくなり、まさに『秋真っ只中』と言わんばかりの季節となったことで、「時が経つのは早いものだなぁ」と驚いているところであります。
そんな『秋』と言えば、やはり見に行きたくなるのは『紅葉』ですよね。
現在、各地で絶賛見ごろを迎え中でございまして、私も先日、群馬県まで足を伸ばして紅葉を見に行ってきたところでございます。
他にも行きたい紅葉スポットがあるので、来週もどこかに行こうと思っている所存ですが、去年同様、その様子はインスタでアップしていきますので、是非ご覧頂ければと思います。
…と少し話は逸れましたが、今回お話したいのは『紅葉』のお話ではありません。
本題に入るためにも、もう少しお話を拡大していきましょうか。
皆さんは『紅葉』を見に行く時、どういったポイントで見に行かれるでしょうか。
近くて気軽に行ける場所、お金の掛からない場所…などなど、色々なポイントがあると思います。
しかして、そんな多くのポイントの中でも、やはり『人気で写真映りが綺麗な場所』というのを重視される方が多いのではないかと思います。
当然、人間というのは欲深い生き物ですから、「どうせ同じ紅葉を見に行くなら、”人気があって綺麗な場所”に行って、ある程度の充実感を得たい」と思うものでしょう。
それは私も同じで、「少し遠くてもいいから綺麗な場所に行きたい」と思ってしまいます。
なので、その気持ちを否定するつもりは全くありません。
ただ、どこかで違和感を感じている部分があるのも確かです。
多くの人が行って見ている綺麗な紅葉を見て感動し、その思い出とともにその光景を写真に収めて、SNSなどにアップすることでさらに充実感や高揚感、優越感を得る…。
少し偏見混じりな部分がありますが、大抵の場合はこのようなところでしょう。
私はそんな様子に「本当にそれでいいのかな」と甚だ疑問に感じます。
ネットやSNSを見ていると、多くの同じような写真がゴロゴロと転がっています。
しかも、ただ単純に同じ場所の写真というわけではなく、どれも似通った構図の写真ばかりです。
察するに、第一人者の方が撮った写真がもの凄く綺麗で、それを見た多くの人が感動して、その構図を真似して撮った方が多くいたのでしょう。
その証拠に、同じような写真しか撮ることができないのにも関わらず、いわゆる”フォトスポット”と呼ばれる場所には多くの人が群がります。
もちろん、その撮り方は様々ですから、”全てが同じ”という写真はほとんどないでしょう。
しかし、現に同じような構図の写真が多く存在するということは、少なくとも”元の写真を意識して撮っている人”が大勢いるという話になります。
さらに言えば、これは単なる私の憶測ですが、中には『皆がこの写真を撮っているから』という、いわゆる”ミーハーな人”も存在するのではないでしょうか。
私はその写真たちを見て、正直「同じような写真を撮って何が面白いのか」と思ってしまいます。
それは何も紅葉の話だけに限りません。
インターネットが浸透した現代では、様々な物事が共有できる時代になっています。
春はお花見、夏は花火、秋は紅葉、冬は雪…などの季節的なイベントもさることながら、旅行での観光スポット巡りや食事、今や日常的なことですらも共有する人が多いです。
人はその光景に憧れ、”アレンジ”という独自性や独創性もないままに、その憧れへと足を運びます。
そして、それを達成した時、人は「別の誰かに届けたい」などという”共有心”、はたまた、「誰かに見てもらいたい」「誰かに褒められたい」などという己の”自己顕示欲”を発散するために、ネットやSNSを介して、その憧れであった光景を共有するのです。
このような人が多発した結果、ネットやSNSには大量の似たり寄ったりなものが存在するわけです。
少し抽象的な話になりました。
もう少し具体的な例を挙げていきましょう。
例えば、今や大人気アプリとなった『ティックトック』。
今ではYouTuberのような企画をする人も多くなりましたが、元々、いわゆる”踊ってみた”のような動画をアップしていた人が多かった印象があります。
では、そんな動画の内容はどうかと言うと、実に独自性や独創性の欠片もない動画ばかりでした。
同じ曲、同じ動き、同じ編集…。
違いがあるとすれば、精々その人の顔と衣装くらいです。
つまり、他者との違いを図る部分は顔と衣装だけなのです。
だからこそ、顔が良かったり、ブランド服に身を包んでいたりさえすれば褒められますし、逆に顔も服もセンスがなければ貶されるという、まさにこの世の縮図のような事態になっていたわけです。
もちろん、その人の顔や衣装も個性の一部と言えますから、ある意味で言えば、それもまた『独自性や独創性がある』と言えます。
しかして、顔と衣装だけで判断される個性は、本来の意味の個性と呼べるのでしょうか。
私ならノーと答えます。
また、世界で大人気の動画共有サイト『YouTube』でも同じようなサービスが開始されました。
名付けて『ショート』と言いますが、ここでも独自性・独創性の欠けた動画が多く見受けられます。
ある動画では旧2chのスレを読んでいるだけ、演じているだけであったり、ある動画では雑学やネットの情報を読んでいるだけだったり、はたまた、モノマネやあるあるネタ、カップルの惚気動画が横暴するなど、誰でもできること、ある程度やり尽くされたネタが多く点在しています。
これはYouTubeの普通の動画でも同じことが言えますね。
2chのスレをゆっくりに読み上げさせるだけ、他人の動画の面白い部分を切り抜いただけ、テレビの番組の企画や編集を真似ただけ、他人の企画や手法を真似ただけ……などなど。
他にも、昔で言えば、芸能ニュースなどが文字でただ流れるだけの動画だったり、メントスコーラや1000℃の鉄球など、もう既にやり尽くされたネタに頼ったり…と、「一体アイデンティティはどこに消えたのか」そう言いたくなる動画が山ほどあります。
もちろん、たとえやり尽くされたネタであったとしても、そこに”その人らしさ”が入っていれば、それは独自性・独創性がある良質な動画と言えます。
例えば、モノマネの中に自分なりのキャラクターを確立させたり、2chのスレや雑学、ネットの情報をただ読むだけではなく、分かりやすく自分なりにまとめて面白く編集したり、切り抜き動画も漫画やアニメ調にしてみたり…などが挙がりますよね。
もっと分かりやすく言えば、ものまね芸人のコロッケさんはいい例だと思います。
正直言えば、私はコロッケさんのネタがあまり好きではないのですが、ただ真似をするだけではなく、『ある程度の誇張をすることによって自分なりのキャラクターを作り出す』というやり方は、コロッケさん独自の芸風だと感心はいたします。
このように、幾度となく繰り返されたネタでさえも、自らの独自性・独創性を以て自分のものにすることができるわけです。
それは動画の話だけではなく、冒頭にお話した写真にも同じことが言えます。
たとえ同じ場所でも目の付け所が違えば当然、全く違った写真を撮ることができます。
少し画角を変えてみたり、撮る位置を変えてみたり、一層メインを変えてみたり…など、その人なりの目の付け所があると思います。
そういったことに注意を払うことで、同じ場所でも独自性・独創性を発揮することができるのです。
それなのにも関わらず、自らは何の施しもせずに、既存のものと同じような動画や写真をネットやSNSにアップする、あまつさえ、それで再生回数や表示回数を増やす、人気を獲得する、収益を得ようとする人がいるわけです。
それは平たく言ってしまえば、ある意味では『盗作』、いわゆる”パクリ”と一緒だと思います。
自分では何もせずにただ他人の功績に胡坐をかき、それでいて、「これが私の独自性・独創性です」と言わんばかりに、さも自分のものかのように立ち振る舞うことで、他人からの評価を得たり、時に収益を得たりなどの利益を得る。
私はそういった人たちを見て、正直『プライドはないのか』と思ってしまいます。
もちろん、『プライド』という自己完結的な話ですから、本人が「それでいい」と言うのなら、そこで私が口を出すことはできないでしょう。
ただ、それを世の中に出す以上は”誰かに見てもらうつもり”、もっと言えば、”誰かに評価してもらうつもり”で世に送り出したわけですよね。
だとすれば、そこには必然的に『エンターテイメント性』が必要不可欠と言えますし、それを提供する人は皆『エンターテイナー』だと言えます。
では、いち『エンターテイナー』として”パクリ”は好ましいと言えるのでしょうか。
少なくとも私は、そもそも『プライド』が許しませんし、絶対的に好ましいものだとは思いません。
でも、だからこそ、私は私を許せなくなる時があります。
ずっと前になりますが、過去に私はこのようなブログを書いたことがあります。
この中では、アニメ『氷菓』のキャラクターである福部里志のセリフに触れながら第21話のレビューをする、という内容になっています。
そんなブログの中でも言った通り、福部里志のセリフの中には『第一人者にはなれない』という言葉がありますが、それを踏まえて正直な話をします。
きっと私も『第一人者』にはなれないでしょう。
今現在、私はブログやYouTube、写真、ピアノ、ギター、ランニング…色々とやってきていますが、どれも他人の真似事ばかりでしかありません。
ブログはただ文章を書き殴っているだけですし、YouTubeも他の人がやっている雑談やゲーム、歌枠をやっているだけにしか過ぎません。
写真も低クオリティのものばかりですし、ランニングも中々タイムが伸びませんし、何ならピアノやギターなんてコードを弾いているだけです。
ただ他人の真似事をして、ただ誰でもできることをやっているだけの、『エンターテイナー』として相応しくない”パクリ野郎”だと言えます。
その状況を鑑みると、当然ながら認めたくない話であって、諦める気は毛頭ありませんが、客観的に今の段階では『第一人者にはなれない』、これが最終的な結論だと思います。
だから、私は悔しくて仕方がありません。
それが『エンターテイナー』として当たり前の感情だと思うのですが、皆さんはどうでしょうか。
私はこのままで終わりたくはありません。
誰かの”パクリ”のままでいたくありませんし、それで利益を得たくはありません。
ですから、『エンターテイナー』としての『第一人者』になれるよう、一歩ずつでも独自性・独創性を身に着けていきたいと思っています。
このブログを見て、誰か一人でも仲間がいてくれたら幸いです。
さて、今回はここで終わらせていただきます。
今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。
それでは、皆さんまたお会いしましょう。
さようならー。
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