皆さん、おはこんばんにちは。
雨宿時雨と申します。
突然ですが、皆さんにクイズを出題します。
0歳~9歳の子どものうち、約何%の子どもがインターネットを利用しているでしょうか?
正解は……
この結果はH30年に内閣府によって行われた『子供のインターネットの利用状況調査』によって明らかにされています。
第1節 子供のインターネットの利用状況|平成30年度青少年のインターネット利用環境実態調査(HTML版) – 内閣府 (cao.go.jp)
上記の調査によりますと、0歳~1歳でのインターネット使用率は約14%であったのに対し、2歳では約50%、小学生に上がる頃には約70%の子どもがインターネットを使用する結果となっています。
さて、私がいきなりこのような話をしたのには理由があります。
Twitterをご覧いただいている方ならご存じだと思いますが、ここ最近のTwitter界隈では小説アプリ『Teller Novel』における無断転載が物議を醸しだしております。
そもそも小説アプリ『Teller Novel』とは、LINEのようなチャット画面上で繰り広げられる登場人物らの会話を用いることでストーリーを展開させていく、新感覚WEB・ケータイ小説アプリです。
チャット画面をスクロールし、登場人物の会話の流れを汲み取る…というあまりに単純な構成から約2分ほどで1話を読み切れる仕様になっており、その手軽さ故に利用者は若年層に集中しています。
しかして最近では、アプリ内で禁止されている二次創作の増加、過激な性的表現の増加、無断転載によるサムネ使用の増加、TikTok等への無断転載の増加…など、小説の内容自体や小説に関わる無断転載が問題視されて話題を呼んでいます。
そんな悪い方向で話題性のある当アプリですが、私自身はアプリの存在自体を存じ上げなかったので、当然のごとく当事者意識等は全く皆無でした。
しかしながら、今回の事案において私なりに思うことがあるのも事実です。
とは言っても、『無断転載はダメ』などとごく普通のお説教じみた発言をする気は殊更ありません。
今回のブログでお話したいのはネットユーザーの質の低下についてです。
上記でもお話した通り、小説アプリ『Teller Novel』のユーザーは若年層が大半を占めます。
その証拠として、今回の事案で問題視されている方に問題を指摘したところ、「誰にも迷惑を掛けていないではないか」「なぜいけないのか」などと根本的な質問が返ってきた事例もあり、ましてや、「”無断転載”という漢字が読めない」などと返信があった事例もあるそうで、その返答からも利用者の年齢層がかなり低いことが伺えます。
実際、『Teller Novel』のユーザー層を調べた調査では、0~22歳のユーザーが約8割を占める結果となっており、統計的な割合としても若年層が大半を占める形となっています。
日本発のチャットストーリーアプリ「TELLER(テラー)」リリース2ヶ月で30万ダウンロードを突破|株式会社テラーノベルのプレスリリース (prtimes.jp)
更に驚くべきは、0~12歳のユーザーが全体の約5%を占める結果となっていることです。
もちろん、それ以上の割合を占めるのは13~22歳の中、高、大学生のユーザーではあります。
しかし、2019年時点の総人口に占める小学生以下の割合は約10%と言われております。
子どもの数は過去最少1,533万人、38年連続で減少…総務省 | リセマム (resemom.jp)
上記の調査結果を基に当調査と同等の規模である4000人で換算すると、4000人のうち約400人ほどが小学生以下という計算になります。
つまり、当調査で約4000人のユーザー中約200人が小学生以下であったことを考えると、極端な話にはなりますが、小学生以下の子どものうち約半数の人が当アプリを使用していることになります。
このことを考えると、かなりの数の子どもが当アプリを使用していることが分かります。
こうした結果となっているのは、単に『ケータイ小説として小学生以下でも読みやすい簡素な造りになっているから』というアプリ自体の体質もあるでしょう。
しかして、個人的にはそうした”アプリの体質”と言うのが原因ではなく、そもそも根本的に”ネットユーザーの若年化が進んでいること”に原因があると考えています。
冒頭にもお伝えした数字からも分かる通り、ネットユーザーにおける子どもの母体数は近年益々拡大化しております。
そうしたことを基に考えると、必然的に若年層を対象としたコンテンツ、若年層でも興味関心があるコンテンツ、それでいて若年層でも扱えるコンテンツ…というのが人気を博す形となり得ます。
もちろん上記から言えば、『集客はアプリの体質に依存するもの』とも言えるのは確かですが、そもそも客が”ネット”という土台に上がっていなければ集客することすらできません。
だからこそ、『Teller Novel』のユーザーが若年層に固まった、そのそもそもの根本は”ネットユーザーの若年化が進んでいること”にあると言えるのです。
…ところで、皆さんはこうした”ネットユーザーの若年化”にどのような意見を持たれるでしょうか。
私は情報取得、単なる娯楽としての機会を若いうちから多く与えられるきっかけとなるため、個人的に”ネットユーザーの若年化”には賛成としております。
とは言え、今回の『Teller Novel』の一件ように”ネットユーザーの若年化”によって問題が起き得るリスクがあるのも事実だと思います。
その中でも”無断転載”のような法令、モラルに基づく問題がやはり目に付くような気がします。
ただ、個人的な意見を言わせていただければ、こうした問題が起きるのは”ネットユーザーの若年化”が進む上で当たり前な話ではないかと思うのです。
そもそも心理学上では「没個性化」という言葉があり、匿名性が保証されている時には、自己の言動をコントロールする能力が低下してしまうことが証明されています。
このような事象は心理的なものであるため、大人か子どもか、日本人か外国人かも関係ありません。
つまり、平たく言えば『匿名性が保証されているネット上では世界中の誰もが現実世界よりも自我を抑えられなくなる』ということです。
もちろん、あくまで”抑えづらくなる”というだけですから、通常的な理性をお持ちの方ならば大した話ではないかもしれません。
しかして、子どもはどうしょうか。
当たり前な話ではありますが、子どもは理性、モラル、道徳心…などを形成中の段階であり、大人のような理性などは持ち合わせていません。
そもそも理性やモラル、道徳心…などと言うのは、周囲の教えを含んだ自身の経験則から学ぶものであって、人生経験の浅い子どもが今すぐにどうこう出来る問題ではないのです。
そのことを考えれば、子どもは必然的に「没個性化」という心理に対抗する術を持ち合わせていないことになります。
だからこそ、保護者や周囲の大人が”ネットリテラシー”などを教えていかなくてはなりません。
しかし、平成26年に行われた総務省の調査では、小学1年~3年生の子どもに「法令やマナーを説明した保護者」が約21%、「ウイルスの説明をした保護者」が約25%、「悪意のある人もいると説明した保護者」が約37%という結果が出ています。
総務省|平成26年版 情報通信白書|インターネットリテラシーの重要性 (soumu.go.jp)
この結果から、小学1年~3年生の子どもにネットを使わせる上で”ネットリテラシー”などについて説明した保護者は約3分の1以下しかいないということが分かります。
また、上記の結果では上の学年に上がれば上がるほどパーセンテージが高くなっていることから、未就学児に対して”ネットリテラシー”などについて説明した保護者数は、小学1年~3年生に対して説明した保護者数より下回ると思われます。
つまり、『大半の保護者は子どもに対して本来すべきはずの”ネットリテラシー”等の説明もせず、子どもネットユーザー化していた』ということになります。
以上のことから分かる通り、保護者や周囲の大人たちから何も得ないままの子どもは、自身の経験則など到底あるはずもない故に、「没個性化」という心理に対抗する術を持ち合わせることなく、必然的にネットユーザー化させられてしまうのです。
だから、”ネットユーザーの若年化”よって問題が起き得るのはごく自然的で、ごく当たり前な話なのではないかと思うのです。
もちろん、だからといって『絶対子どもは悪くない』などと主張する気は毛頭ありません。
ただ、”ネットユーザーの若年化”よって起き得る問題を当事者である若年層に全て押し付けるのは、上記の理由からあまりにも酷な話だと思ってしまいます。
とは言え、ここで保護者や周囲の大人を批判するのも違うような気がします。
と言うのも、”ネットユーザーの若年化”が進んだ背景には、そもそも”ネットユーザーの一般化”が進んだという前提があると思うのです。
これまた当たり前の話ではありますが、ネットのユーザー層が多いのは何も若年層だけではなく、全年代ともに同じことが言えます。
H30年度の調査では13歳~59歳までの世代がほぼ100%でネットを利用しており、60歳~69歳でも約75%、70歳~79歳でも約50%の人がネットを利用しているという結果が出ています。
つまり、今時ネットを利用していない方が珍しいほどネットは一般的に浸透している、即ち”ネットユーザーであることが一般的になった”と言うことです。
こうした”ネットユーザーの一般化”は昨今の「コロナ禍」も一役買ったことでしょうが、やはり大きくは「スマートフォンの普及」が背景にあるのは言わずもがなでしょう。
ガラケーより画面が大きいながらに持ち運びやすく、パソコンのように高機能である故にネットサーフィンや動画鑑賞、ゲームまで出来る優れもの…。
その手軽な高機能さがネットや機械が苦手なユーザーの心にも刺さり、今ではスマートフォンの全国への普及率は約90%に達するほどになりました。
本来ネットとは人間の生活をより豊かに、より楽にするために生まれたものですから、こうした”ネットユーザーの一般化”はある意味本望だと言えるでしょう。
しかして、その手軽な高機能さがむしろ仇にもなりました。
ネット、機械音痴なネットユーザーが量産され、ネットの脅威を知る者が相対的に減ったのです。
「ネットの脅威を知らない」と言うのは「”ネットリテラシー”を知らない」のも同義です。
そうして”ネットリテラシー”を知らぬ者がネットの手軽さだけを知り、その手軽さ故に”ネットリテラシー”を教えられぬまま安易に子どもをネットユーザー化するという連鎖反応が起こるのです。
つまり、『スマートフォンの普及によって”ネットユーザーの一般化”が進んだものの、安易な考えでネットを使用する所謂”ライト層”が増えたことで、”ネットユーザーの若年化”という問題を増加させるリスクを生んだ』ということです。
とは言え、先の通り、ネットとは人間の生活をより豊かに、より楽にするために生まれたものです。
そして、そうした”怠惰”とも取れる考え方からも分かる通り、人間とは『楽して生きたい』などと考えるほどに欲に限りなく忠実な生き物です。
それはネットに限った話ではなく、この世のあらゆるものにも共通して言えます。
そのため、何も知らずにこうした機械にすがることを私は恥だとは思いません。
むしろ、人間として至って当たり前なことだと言えます。
以上のことを踏まえると、所謂”ライト層”が増えることは何ら不思議なことではないですし、誰に責められたことではないと思います。
そうして考えると、一概に保護者や周囲の大人を批判できるものではないような気がするのです。
さて、ここまでの文章を一言でまとめると下記のようになります。
スマートフォンの普及によってネットユーザー化を強いられたライト層である保護者や周囲の大人。
その結果、保護者や周囲の大人から「没個性化」に対抗する術を何も得られず、安易な考えでネットユーザー化を強いられた子ども。
以上のようにして考えると、欲深い人間の心理に対抗できない必然が”ネットユーザーの一般化”を生み、そうした中で増加したライト層が必然的に人間の心理に対抗できない”ネットユーザーの若年化”を生んだことが分かります。
こうした必然が”ネットリテラシー”を知らないライト層を増加させた、即ち”ネットユーザーの質を低下させた”わけです。
つまるところ、昨今の”ネットユーザーの一般化”、それに伴う”ネットユーザーの若年化”の中では、ネットユーザーの質が低下するのは何ら不思議ではない、むしろ当たり前な話なのです。
もちろん、そうした状況の中であってもネット上の秩序が乱されることはあってはならないことですから、『法令やモラルに反した行動を許容するべき』などという話ではありません。
簡易な違反であれば運営に報告するなり、何らかのお咎めの言葉があってもいいと思いますし、特に悪質な法令違反の場合には然るべき場所で然るべき手続きを行っても構わないと思います。
しかし、上記のように個別的な問題を解決しても、”ネットユーザーの質の低下”という根本的な問題の解決には繋がらず、最終的に上記と同じことを繰り返すようになってしまいます。
それは今回の『Teller Novel』の一件を見ていただければ一目瞭然でしょう。
そうしたことを考えると、やはり現代のネット情勢において必然化されている”ネットユーザーの質の低下”という根本的な問題を解決する他ないと思います。
とは言え、先述したように”ネットユーザーの質の低下”は必然に必然を重ねた結果です。
”ネットユーザーの質の低下”を引き起こす”ネットユーザーの若年化”も”ネットユーザーの一般化”が生んだ必然ですし、その”ネットユーザーの一般化”も欲深い人間の心理が生んだ必然です。
そのため、問題の大元を断ち切ることで問題解決を図ることは実質的に不可能と言えます。
このことを踏まえた上ではっきり言ってしまえば、”ネットユーザーの質の低下”を100%防ぐ方法はないと言っていいでしょう。
ただ、”ネットリテラシー”などを知らないライト層が”ネットユーザーの若年化”を引き起こしていることを鑑みると、やはりこのライト層が”ネットリテラシー”を知ってさえいれば、ある程度の予防策にはなるような気がするのは確かです。
問題は『いかにしてライト層にネットリテラシーを知ってもらうか』です。
そもそもライト層が”ライト層”である所以は、ネットや機械に対しての恐怖心や不安感を募らせ、興味関心を失くしているからであって、そういった人たちに”ネットリテラシー”などと説明するのは困難極まりないことです。
かく言う私も、何かしらの革新的な案があるわけではありません。
しかして、”教える””説明する”という行為は、知る者から知らぬ者に対してにしか発生しません。
言ってしまえば、ライト層にネットリテラシーなどを教えることができるのは”ネットリテラシーを知る者”、即ち所謂”ネットオタク”と言われるような”ネットのハードコア層”しかいないのです。
とどのつまり、今回の『Teller Novel』の一件に対して物議を醸し出した人たちが率先して、ネットユーザーが一般化、若年化したことによって生まれたライト層にネット上でのモラル、所謂”ネットリテラシー”を教えていかなくてはならいないのです。
そうした教授の中で必要になってくるのは、やはり”知らぬ者への理解”だと思います。
時に人は「自分が知っているから他人も知っていて当然」などと思い込み、知らぬ者に対して軽蔑するように冷たくあしらう節があります。
しかし、それでは”教える””説明する”という行為はされる方にとってはもちろん、する方にとってもハードルが高くなってしまい、内容が入らないどころか互いに嫌な思いをするだけになります。
逆に”知らぬ者への理解”さえあれば「知らなくても仕方ない」と気持ちを切り替えることができ、その結果として献身的に教えることができるようになるため、互いに嫌な思いはしなくなるでしょう。
しかしながら、そういった観点から言えば、今回の『Teller Novel』の一件で見せたハードコア層の反応は”知らぬ者への理解”があったとは到底思えないものでした。
誰もが『ネットを使っているのならネットリテラシーを知っていて当然』と言わんばかりのコメントを投げかけ、ライト層から生まれた若年層を突き放すような振る舞いだったように思います。
これではライト層、それに伴う若年層が意固地に耳を塞ぐのも当然の結果ですし、”ネットユーザーの質の低下”という根本的な問題の解決には繋がるはずもありません。
お分かりかと思いますが、”教える””説明する”というのは”育てる””育成する”のと同義です。
それは『親や教師から子どもへ』という育児の構図、はたまた、『学校や職場の先輩から後輩へ』という指導の構図と何ら変わりはありません。
保護者や指導者になったことのある方であれば、『頭ごなしに叱っても相手の成長には繋がらず意味がない』というのはよくご存じでしょう。
人はただ怒られただけでは反省はしませんし、むしろ、怒ってきた相手に不快感を覚えます。
特に子どもは、『なぜ怒られているのか』『何が悪かったのか』を自らで判断できないため、叱る側が叱っている理由を子どもに理解させなければなりません。
要するに、叱る側は相手の気持ちを汲み取って叱るしかないのです。
それを踏まえた上で今回の件を見てみれば、頭ごなしに怒っている人が多かったように思います。
何度も言うようですが、頭ごなしに『ネットリテラシーがなっていない』『ネットリテラシーを知るべきだ』などと叱りつけても何ら意味がありません。
もし仮に、本当に”ネットユーザーの質の低下”という根本的な問題の解決をしたいのならば、ハードコア層が”ネットユーザーの一般化・若年化”によって生まれたライト層、若年層への理解を示し、率先してネットリテラシーを教えていかなくてはならいないのです。
そうした献身的な行動が、今回の『Teller Novel』の一件ような問題を抑制するカギとなってくるのではないでしょうか。
さて、今回はここで終わらせていただきます。
今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。
それでは、皆さんまたお会いしましょう。
さようならー。
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