リリック
朝焼けが差すこの部屋で アラームの音だけが響くよ
重い瞼を擦りながら 欠伸をして起き上がろう
空はこんなに青いのに 僕の心は暗いまま
心ここに置き去りにして 身支度済ませて外に出た
重く苦しいこの世界で 息継ぎの仕方も忘れたよ
このままここで溺れゆくなら 自ら泡になって消えてゆきたい
沈みゆく夕日が眩しくて 俯き歩く帰り道
小さな石にも躓いて 泣きそうなのを堪えてた
茜色に染まる空 少し空気が冷たくて
消え入りそうな僕の心を 締め付けて早足になる
静寂が鳴るこの部屋で 体を丸めて寝転がった
世界の声も自分の声も 聞こえないように耳を塞いだ
沈む心を抑えきれなくて 頬を伝う一筋の涙
声を殺して心を殺して 僕はもう疲れてしまったよ
静かに深く目を閉じる 心臓の音が聞こえてくる
「消えたい」なんて思いながら 「生きたい」と心は叫ぶ
朝焼けが差すこの部屋で アラームの音が聞こえてくる
曖昧で面倒くさい僕は 今日も一日を生きてゆく
きっと…また明日も
生き続ける
インスト音源 / コード譜 配布
制作者コメント
皆さん、おはこんばんにちは。
雨宿時雨と申します。
さて、新曲『生きる』は如何でしたでしょうか。
今回の楽曲はバラードということでピアノ伴奏のみのシンプルな構成と、それに合わせて僅かなアニメーションが施された1枚絵のような仕上がりのMVにさせていただきました。
シンプルが故に少しばかり粗が目立つ事が一つの懸念点にはなりますが、個人的にはそれなりに良い作品が作れたのではないかと思っております。
そんな本楽曲、実は三年程前に制作したものなんです。
『逃避行ドライブ』が第一弾目の楽曲と言っておりますが、正確には本楽曲『生きる』が初作詞作曲となります。
当時はピアノではなくアコースティックギターでの演奏を想定しており、それに合わせて歌詞とコードのみを制作しておりました。
変更理由として特別なものはございませんが、強いて言うならば、ボーカルに合わせて雰囲気を柔らかく仕上げたかったというのが一番の理由となります。
その為、三年前の構想から少しばかりコードを組み直し、更に奥華子さんの演奏を参考にピアノの編曲をすることになったので、実際には第三弾目の作詞作編曲と言っても差支えないかと思います。
そのような過程の中で制作された本楽曲『生きる』は、三年前の当時の私の心境を語った楽曲でもあります。
皆さんもご存じの通り、私はあまり強い人間ではございません。
心身ともに異常をきたす事は特別視される程多くはありませんが、そうした健康そうな心身の裏には毒々しい感情が渦巻いている事が多々あります。
その中でも一番大きな感情と言えば、本楽曲中での「消えたい」になるわけですが、表現上マイルドな形で言語化してはいても、実際のところは何を言いたいのかは皆さんも想像つくかと思います。
とは言え、こうした感情を抱いているのは私だけではないでしょう。
事実として、日本の幸福度ランキングは世界で見てもワーストクラス、自殺者数も世界トップクラスを誇るわけですから。
そんな現代社会の中で私たちは恐怖にも似た何らかの不安や不満を抱えながら、それでも事実として今を「生きている」のです。
どんよりとした曇り空が浮かび、小石に躓きそうになり、時には転んで涙を流しながらも、それでも「生きている」わけです。
そこには本楽曲の歌詞の通りに「生きていたい」という感情があるのか、はたまた「消えるのが怖い」という感情があるのか、また別の感情があるのか分かりませんが、兎にも角にも今「生きている」という事実は変わりません。
様々な苦難が待ち受けている変わらぬ日々を「嫌だ、嫌だ」と言いながらも繰り返す。
消えてしまいたいのか、生きていたいのか、その感情さえ曖昧に濁して日々を過ごす。
期待されていたようでしたら申し訳ございませんが、本楽曲には特別これといった答えは存在しませんし、誰かを支え救えるような言葉を綴ったつもりは毛頭ございません。
勿論、「人生に答えなんてない」なんて説教じみた事を言うつもりもありません。
本楽曲で描いたのは上記のような何の解決もしない、暗くても平凡な変わらぬ日々の記録です。
しかしながら、「それこそが『生きる』ということなのかもしれない」と思う節が私にはあります。
特別仏教を信仰しているわけではありませんが、仏教の教えの根本には「生きることは苦」というものがあるそうです。
確かに冷静に考えてみれば、頼みもしないのにこの世に生を預かり、その上で勉強然り、仕事然り、恋愛然り…、様々な苦難や困難を経験せざるを得ないというのは何とも理不尽な話ではないかと思い至ります。
そうして考えれば、ある意味「生きる」とは上記のような日々を過ごす事でもあるように思います。
先ほども言ったように、そうして考えたとて人生が辛く苦しい事実もその中で今を「生きている」事実も変わりませんし、そうした事実に対する解決策を見出して皆さんに享受することも私には出来ません。
強いて私にも出来ることがあるとすれば、そうした事実をこのように言語化等として皆さんにご披露することくらいです。
だからこそ、私は本楽曲に『生きる』という題を名付けました。
辛く苦しい、けれど生きている、そうした曖昧な日々こそが「生きる」ということかもしれない。
そのように思ったからこその題です。
是非、本楽曲を聞いて「生きる」とはどういうことか考えてみては如何でしょうか。
さて、今回はここで終わらせていただきます。
是非ご感想をお聞かせいただけたら幸いです。
それでは、皆さんまたお会いしましょう。
さようならー。
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