皆さん、おはこんばんにちは。
雨宿時雨と申します。
さて、今回の時雨ブログは『離れることの大切さ』ということでお話していきたいと思います。
突然ですが、皆さんは何かにハマったことはありますでしょうか?
ドラマや映画、アニメにゲーム、漫画にスポーツ……なんでも構いません。
何かに没頭できるほどハマれるものがある、そういった何かしらの趣味がある、というのは素晴らしいことだと思います。
かく言う私も、以前からご紹介している通り、多くの趣味を持っております。
音楽、アニメ、ランニング……このブログも趣味の一環として行っております。
しかし、どんな趣味にでも言えることだと思いますが、あまりに没頭しすぎて飽きてきてしまうことってありますよね。
いわゆる「燃え尽き症候群」というやつです。
なぜこんな話をしているのかというところにも繋がりますが、思い返せばここ最近、趣味が巡り巡っているような気がするのです。
以前まではもの凄くアニメばかりを見ていたのに、一度全く見なくなったような気がしますし、かと思ったら、最近になってまたアニメを見まくるようになりました。
アニメを見るようになったと思ったら、次はブログやランニングへの熱が少し冷めてしまったり、逆にギターやピアノへの熱が入ったり、今まで熱が入ってこなかったゲームへ関心が向いたり……と趣味に対する熱があっちこっちと行ったり来たりしています。
それを一番感じたのが、YouTubeの視聴履歴の偏り方を見た時です。
以前までVTuber、中でも特にホロライバーに関する動画が主だったのに対して、最近ではアニメの動画であったり、音楽に関する動画が多くなったように思います。
確かに、VTuberを一切見なくなったというわけではありません。
ですが、その数は明らか減っており、その中身もホロライバーからにじさんじライバーへの動画へと変化していました。
『炎』というのは、いつまでも燃え続けられるものではありません。
酸素や燃やすための資材、燃料があって初めて燃え続けることができるのです。
逆にそこに水や二酸化炭素が入り込んだり、燃やすために必要なものがなければ、炎を燃やすことはできなくなるのです。
それは人間も同じです。
人間に宿る趣味などに対する熱、言わば『心の炎』も燃料がなければ燃え続けることはできません。
では、人間が持つ『心の炎』の燃料とは一体何でしょうか。
答えは簡単です。
そう、人間自身が持つ『欲求』です。
このゲームがしたい、あのアニメが見たい、体を動かしたい……などの欲求が、趣味などという火種に火をつけて、更には、その火を炎へと変貌させ、燃やし続ける燃料となるのです。
しかし、この欲求というのは普通の炎の燃料とは少し違います。
普通の炎の燃料は、あればあるだけ投入することができ、投入した分だけ炎が燃え続けます。
ですが、欲求の場合はむしろその逆で、欲求を満たせば満たすほど、燃えなくなってくるのです。
それはなぜでしょうか。
そこには脳と心の関係性にあります。
通常、欲求というのは脳から発せられ、心をその受け入れ先としています。
心には「満足ゲージ」という欲求を満たすことで、そのゲージが徐々に上昇していくシステムがあり、そのシステムこそが、脳から発せられた欲求の受け入れ先になっています。
このシステムは脳と連動しており、ゲージが空っぽであったり、減ってきたりした時、脳がそれを感知し、ゲージをいっぱいにさせるよう、脳から欲求を発するようになっています。
つまり裏を返せば、この「満足ゲージ」が満タンであった時には、脳からは欲求が伝達されないようになっている、ということです
だから、欲求を満たせば満たすほど欲求、すなわち、炎を燃やす燃料は少なくなり、『心の炎』は消え失せていってしまうのです。
また、燃えなくなる要因は他にもあります。
先ほども言った通り、普通の炎は水や二酸化炭素などが入り込むことによって、そこに酸素や燃料があったとしても、消えることがあります。
これは人間も同じなのです。
特に人間の場合は、炎を消すための素材があまりにも多すぎるのです。
横を見ればスマホやお菓子に漫画やゲーム、テレビに雑誌にベッドにソファー……。
仮に漫画やゲームが趣味と言っても、その他の誘惑が多すぎて趣味に集中ができない、という状況に陥る可能性があります。
というように、『心の炎』は満足ゲージが満たなくても消えてしまうこともあるのです。
ただ、どちらの方法で炎が消えたとしても、当然そこには焼け跡が残ります。
例えば、前者の満足ゲージが満タンになった状態で消えたとしても、人間は今までやっていたことを習慣化してしまう習性を持っているため、欲求が出てなくとも、その趣味をやってしまうということが起こり得ます。
しかし、欲求が出てもいない、つまり、まだ満足ゲージが減っていない状態でそれをやると、許容範囲を超えた満足接種になってしまうため、心と脳が多大なる嫌悪感を抱いてしまいます。
一連の流れを食事に例えると分かりやすくなるのではないかと思います。
お腹がすいた状態でいると、当然何か食べたいという欲求が出てきますよね。
私たちはこの欲求に従って、お腹が膨れるまでご飯を食べます。
しかし、美味しすぎてついつい食べ過ぎてしまうことってよくありますよね。
食べている時は幸せなんですが、重要なのは食べ終わった後。
お腹はパンパンに膨れ上がり、なんだか胃がもたれていたり、むかむかしたり、どこか気持ち悪い。
そう、満足ゲージの教養範囲を超えた趣味の接種は、この食べ終わった後の状態にあるのです。
では、こうならないためには、どうすればいいのか、もう答えはお分かりですよね。
食べ過ぎて気持ち悪いなら、食べたいという本能を抑えて食べなければいいのです。
趣味に置き換えれば、嫌悪感を抱くようになってきたのなら、習慣化してしまった趣味から一度離れればいいのです。
それだけの話なのです。
一度離れてみると、いつしか自然と満足ゲージが下がってきて、また脳が満足ゲージを満タンにするように欲求を出してきます。
そうなった時に、もう一度戻ってみればいいだけの話なのです。
以前、VTuberでホロライブ所属の大空スバルさんは、あるリスナーが『最近、ホロライブに対して冷め気味になってきました。乗り越え方を教えてください。』と質問してきた時に、こんなことをアドバイスしています。
長期間ハマるものには必ず冷める時期がある。
そこで一番いけないことは、義務化すること。
見たい時に見るのが一番いい。
この言葉が真実かなと私は思います。
別に趣味は強制的なものではありません。
むしろ、人生を豊かにするためのツールです。
そのツールに苦しめられていたら、それは本末転倒だと思います。
だから、わざわざ義務化して無理をするくらいなら、自ら距離を置いて、やりたくなった時にやればいいのではないかと思います。
皆さんも、趣味に少しでも嫌気がさして来たら、いっそのこと離れてしまってもいいかもしれませんよ。
それでは。
さて、今回はここで終わらせていただきます。
今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。
それでは、皆さんまたお会いしましょう。
さようならー。
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