皆さん、おはこんばんにちは。
雨宿時雨と申します。
今回の時雨ブログは『食育』についてです。
さて、先日私は「甘々と稲妻」というアニメを見ていました。
この作品のあらすじを簡単に説明すると、『母を亡くした父子が手作り料理を学び、食のおいしさ、料理の楽しさへの理解を深めていく中で、親子の絆を深めていく』というような、ハートフル料理アニメになっています。
もともとは漫画原作で、以前から漫画・アニメともに見ていたのですが、ふと見返したくなり、今に至る次第です。
まあ、そんな経緯の話は置いておくとして、本題に移りたいと思うのですが、この作品の見どころは、何といっても「親子の絆」「食を通しての娘の成長」の主に2つあると思います。
それぞれこの作品を面白くするのに必要不可欠な要素ではあると思いますが、今回のブログでは特に「食を通しての娘の成長」という部分に注目していきたいと思います。
いわゆる「食育」というやつです。
そもそも「食育」とは、調べてみると『様々な経験を通じて、「食」に関する知識と、バランスの良い「食」を選択する力を身に付け、健全な食生活を実践できる力を育むこと』と定義されています。
その食材に含まれる栄養素や食事に関するその他の知識を覚えることで、バランスの良い食生活を送ることができ、その結果、健康的な生活を営めるようにする、ということですね。
この定義づけは国の機関である農林水産省でもされており、言葉の意味として当然ながら間違いではないと思います。
しかし、私はこのアニメを見ていて「食事から学べることは他にもあるのではないか」、そう考えさせられました。
それこそ、このアニメの肝である『親子の絆』もそのうちの1つだと思います。
今回は『食事から学べること』をストーリーごとに少しご紹介させていただきます。
第10話「夏休みとねことアジ」
まず、ご紹介するのは第10話「夏休みとねことアジ」です。
簡単なあらすじとしては、『海に訪れた主人公たちが、釣りをしていた方にもらったアジを捌く』という内容のお話になっています。
「アジを捌く」と言うからには、元から3枚に下ろしてあるものではなく、何も処理されていない1匹丸々のアジを3枚に下ろしていくことになりますが、当然、料理を学んでいる途中の主人公たちが元から魚の捌き方を知っているわけもなく、悪銭苦闘しながら処理していくことになります。
「魚を捌く」と言うと、なんとなく「3枚下ろし」というイメージがありますが、実際にはその前に様々な工程の処理が必要となります。
背びれをとって、鱗を落とし、頭を落として、内臓などを取り出す……。
これだけでも慣れていないと大変な作業です。
特に頭を落としたり、内臓を取り出したりする作業は、初めての人にとってはグロ耐性がなければ、正直グロすぎて、大の大人でも気持ち悪くなる光景かもしれません。
しかし、主人公の娘さんはその光景を臆することなく、捌いた魚を食べた後こう言うのです。
怖いし、面白いし、すごいんだよ!」
通常であれば非常にショッキングな光景であるはずの魚の下処理を、こうして受け入れるのは肝が座っていると感心してしまいます。
まあ当然ながら、幼稚園生くらいの小さな子どもにめたらやったら見せるものでもないと思いますが、しかし、この気づきは非常に重要なことだと思います。
私たちは普段から肉や魚といった様々な生き物の命を刈り取り、いただいているわけで、それは言ってしまえば、様々な生物の命をいただいているのと同義です。
しかして、どれだけの人がそれを意識して食べているのでしょうか。
きっと、私も含めて、ほとんどの人があまり意識せずに食していることでしょう。
でも、それはいけないことではなく、むしろ当たり前なことでもあります。
普段私たちがよく目にする肉や魚は、すでに捌いてあるものであり、その見た目も多少血が滲んでいることがあっても、そこにグロさなどを感じることはありません。
それは調理中、調理後、食べる時でさえも同じです。
私たちはその食べ物が元々は私たち同様、「陸や海を動き回っていた」という事実を意識せずに食することができる環境が揃い過ぎていて、それを意識することが困難な状況にあるのです。
だからこそ、実際に自分で一から捌き、頭や内臓などを落としたり、取り出したりして、大量の血や内臓を見ることで、その肉や魚の生命を感じることができるのではないでしょうか。
また、肉や魚の生命を感じることで、命の大切さや尊さ、この世の生物のあり方である弱肉強食、それに伴う生命の循環……などを、より一層強く感じることができるのではないかと思います。
確かに「グロくて嫌だ」、そう思われるかもしれませんが、『命をいただく』というのはそういうことなのだと思います。
だから、無理にとは言いませんが、一度魚を捌いてみるのもいいかもしれません。
第11話「おゆうぎ会とさつまいもクレープ」
さて、お次に紹介するのは第11話「おゆうぎ会とさつまいもクレープ」というお話です。
こちらのお話では、さつまいもを使ったクレープを作っていくことになります。
しかし、今回はその料理の内容ではなく、料理をすること自体が肝になってくるお話です。
簡単にあらすじを説明すると、『幼稚園のお遊戯会で演劇をすることになるが、どうも友達との折り合いがつかず、喧嘩気味になってしまい、どうにかして仲直りしようとする』という内容のお話になっています。
大人も子どももそうだと思いますが、自分の知らないところで他人の反感を買って、急に無視をされたり、喧嘩気味になったりすることあると思います。
人との付き合いというのは、目には見えないその人の気持ちが絡んでくるものですから、多少の隔たりがあるのはしょうがないことだと思います。
しかし、「その人との関係を途絶えさせたくない」と思った時、人はその理由を頑張って見つけたり、頑張って仲直りをしたりするのです。
これは人間関係に限った話ではありません。
勉強や仕事、スポーツ……この世のあらゆるものには、一定以上を超えると必ずと言っていいほど、大きな障害や隔たりができてしまうものなのです。
生半可な気持ちであればそこで折れてしまうでしょうが、「ここで諦めたくない」そう思った時、皆一様に何とか頑張ってみようとするのです。
料理とはその原点ではないかと、このアニメを見ていて思いました。
実はこの回には、このような会話のやり取りがあります。
でもね。まだできることはあるから、お友達に分かってもらうの頑張ってみようよ。」
子「私も頑張るの好きだな、と思った。ご飯作るの楽しいもん。頑張ってみるね。」
昔から「働かざる者、食うべからず」という言葉があります。
今でこそお店に行けば、処理済みの食材が売っていますが、昔はそんなことはありませんでした。
自分でお米や野菜を作ったり、動物や魚を狩ってきたりと、自分で頑張ってご飯を獲得しなければ、ご飯にありつけない、そんな生活だったのです。
では、今は違うかと言われれば、そうでもないと私は思います。
確かに、先ほども言ったように、コンビニやスーパーに行けば、すでに調理が施されている料理がおいてあったり、下処理された食材がおいてあったりして、特に苦労せずともおいしいものが手に入ります。
しかし私は、自分で料理をするからこそ、売られている料理とはまた違ったおいしさが生まれるのではないかと思うのです。
ときに『料理をする』というのは、非常に大変なことだと思います。
何を作るか決めて、料理の工程を考えて、食材の下処理をし、工程順に食材を処理していく……。
ただ作るだけではなく、そのあとの盛り付けや使った調理器具や食器類のかたずけ、余った食材の後始末など、たった1つの料理を作るだけで様々な苦労が存在します。
でも、その苦労があるからこそ、おいしいご飯にたどり着けるのであって、この苦労を知らない人はそのおいしさを味わうことができないのです。
先も言った通り、人生様々な困難が待ち受けていることでしょう。
きっとその困難から逃げても、今の時代なら、なんだかんだ生き延びることができると思います。
しかし、その味はきっとそれなりのおいしさでしかなく、満足できるかどうかは人によって変わってくると思います。
であれば、自分がいつでも納得いくように、少し手間であったとしても、頑張って困難に立ち向かっていった方がいいのではないかと思うのです。
そうすれば、きっとおいしいし、楽しい人生になるのではないかと思います。
まさしく、現代の料理と一緒であり、料理がその頑張りを教えてくれる原点だと、この回を見て思いました。
さて、いかがでしたでしょうか。
食に携わることで、命の大切さを学んだり、頑張ることを教えられたりと、様々な恩恵が受けられるものだと、このアニメを通して非常に考えさせられました。
冒頭にもお伝えしたように、「食育」の本来の意味はあくまで「食を通して健全な生活を送ること」にあります。
しかし、実際にはその意味以外にも、たくさんの意味を孕んでいるのかもしれません。
それを考えたら、料理や食事から学べるものは数多くありながら、あまり重要視されることのない「食育」というのは、案外非常に重要な意味を成しているものなのかもしれません。
この記事をご覧になっている皆さんの中で、もしお子さんがいる、あるいはこれからできる予定がある方がいましたら、是非、食を通して学べることも多くあることを覚えて帰っていただければと思います。
そして、漫画・アニメ「甘々と稲妻」という作品が気になった方は是非一度見てみてください!
非常に面白いアニメで、心が温まりますよ?
それでは、この辺で。
さて、今回はここで終わらせていただきます。
今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。
それでは、皆さんまたお会いしましょう。
さようならー。
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