皆さん、おはこんばんにちは。
雨宿時雨と申します。
さて、4月に入って新しいアニメが始まる最中、録り溜めして見る派の私は、今更ながら前期分のアニメを見返しております。
そんな中で今回お話していきたいのは、アニメ『明日ちゃんのセーラー服』についてです。
この作品は、中学1年生の明日小路が持ち前の明るさでクラスメイトと仲良くなりながら成長していくという日常系アニメで、原作漫画の画力に引け劣らない作画の良さ、アニメだからこそ表現できるフェチズム満載の描写が特徴的な作品です。
フェチズムを擽るこの作品には少々エロティックさが見受けられますが、そのエロティックさがむしろ優美でかつ可憐な女性像を引き立たせ、日常系という単調になりがちな作品をより魅力的に、より引き込まれるものに押し上げていると思います。
そんな作品であるが故に『萌系アニメ』『お色気アニメ』などと誤解されやすいですが、そんなことは決してないのがこの作品の良いところでもあります。
と言うのも、この作品の一部に垣間見えるエロティックなフェチズム的表現はあくまで飾りにしか過ぎず、その大部分はあらすじ通りの『小路やそのクラスメイトたちが一緒に成長していく姿』がしっかりと描かれており、どこか感動を覚える作品に仕上がっているのです。
そんな作品には小路のクラスメイト『兎原透子』というキャラクターが存在します。
兎原さんは小路の後ろの席に座る女の子で、所謂小路の”イツメン”に属する方です。
その性格は非常に明るく、ソフトボール部に所属するなど元気溌剌としており、友達思いの気さくで話し掛けやすいムードメーカー的存在です。
しかしその一方で、実は努力家な一面があったり、縁の下の力持ち的な一面もあったりする真面目な女の子だったりします。
例えば、お菓子屋さんである実家から興味のなかったお菓子作りを学んで皆と仲良くなろうとしたり、さりげない言葉で友達の背中を押して間を取り持ったりなどのエピソードがあります。
そんないいとこ取りの彼女ですが、実はこの作品で唯一”負の感情”を見せた人物でもあるかと思います。
特に印象深かったのは第4話『私のイメージ?』での一幕です。
あらすじを簡単に説明いたします。
ソフトボールの練習をしていた兎原さんの近くをたまたま通り掛かった小路は、泥水に着水したボールの水飛沫によってセーラー服を汚してしまいます。
その光景を見ていた兎原さんは「すぐに洗濯したほうがいい」と学校から近い寮の自分の部屋に小路を呼びました。
当然着替えの服など持っていない小路に対し、兎原さんは「可愛すぎて自分には似合わなかった」などと苦笑いしつつ、持っていた白いワンピースを貸すこととしました。
そうしてワンピースへと着替えた小路ですが、その似合いっぷりは貸した本人である兎原さんも唖然としたような姿を見せるほどで、兎原さんは戸惑いながらも「雑誌の子にも負けてない」と小路を褒めました。
そんな小路の姿を見た兎原さんは少し間をおき、小路に聞こえるか聞こえない程度のさり気ない小さな声で「私が明日ちゃんだったら東京の学校に行ってたかも」とポツリと呟きます。
もちろん小路は上手く聞き取れなかったのか不思議そうな顔をしましたが、兎原さんはそれに構わず「汚れたセーラー服を洗濯しよう」と話を振り直りました。
そんなこんなで洗濯が終わるまでお喋りしていると、話題は兎原さんのお菓子作りの話へとシフトします。
そこでお菓子作りをするようになったキッカケなどを話す兎原さんに対し、小路はお菓子作りができる兎原さんを「すごい」と褒めちぎります。
そんな小路に兎原さんは「私でもできるんだから明日ちゃんでもできるよ」と言いながら、小路にお菓子作りを教える運びとなりました。
しかし、出来上がったのは丸焦げのクレープであり、その光景に兎原さんは「完璧な女の子だと思っていたから少し安心した」と安堵の表情を浮かべました。
…というのが、大まかなあらすじになります。
この話を見た時、私はもの凄く違和感を覚えました。
と言うのも、本作品はこれまで『日常系にあるべき”安定感”』を演出してきました。
にも関わらず、それが一変、この回ではあらすじのような兎原さんのくぐもった表情や感情を確認することができ、これまでの空気を覆すが如く不穏な空気を演出し始めたのです。
まさにその光景はどこか尾を引くような感覚にまでさせるほどでした。
では、その感覚の正体とは何だったのでしょうか。
その答えは兎原さんの言葉にあると思います。
実はこの回には兎原さんの回想シーンが含まれており、そこには皆と仲良くなろうと工夫する兎原さんの姿がありました。
最初は”兎原”という名前からうさ耳で印象付けて、大スベリで失敗に終わる兎原さん。
しかし、兎原さんは諦めずに『実家がお菓子屋』『寮内では唯一の料理班』などの立場を利用してお菓子作りに転じました。
その結果、皆と打ち解けることができたというものです。
ここで注目すべきはその結果ではなく、その裏に隠された彼女の努力です。
実際、彼女はお菓子作りについてこんなことを言います。
「またレシピを聞かないとネタ切れ」
「出来上がった半分は失敗している」
これらの言葉から浮かび上がってくるのは、お菓子作りが特別上手いわけでもない兎原さんが、皆に飽きられないように、多くの失敗を重ねながらも多くのレシピを学んでお菓子作りに励む姿です。
しかし一方で、その言葉から感じ取れる姿の節々には、どこか冷たさのようなものも感じます。
これはあくまで私の推測に過ぎませんが、多くの失敗に見舞われる”お菓子作り”というのは、彼女にとって特段好き好んで行われているものではなく、皆に好かれるための“道具”、もっと言えば、好かれ続けるための“義務”とも言えるものなのではないでしょうか。
簡単に言えば、兎原さんは皆に好かれるためだけに、好きでもないお菓子作りを実家から学び、多くの失敗に見舞われながらも練習しているのではないかということです。
もちろん、お菓子作りに関して「楽しい」と発言した場面も見受けられます。
しかし、本気でお菓子作りを楽しいと思っているのならば、自ら進んでお菓子作りを学ぶはずですし、「またレシピを聞かないと」などという義務的じみた表現はしないと思うのです。
そうしたところから、私は『彼女はお菓子作りを好いていないのではないか』と考えます。
そう考えると、兎原さんの友達の多さは彼女が多くの努力をしてきた証であり、そんな彼女はまさに”努力家”と讃えられるべき存在です。
では、一方の主人公・小路はどうでしょうか。
小道の場合、その持ち前の明るさやルックス、校内で唯一のセーラー服姿を活かして悠々と様々な人と仲良くなっていきます。
兎原さんのような努力をせずとも目的を達成してしまうのです。
そんな小路に対して、好きでもないお菓子作りを頑張って学んでまで多くの人に好かれたかった、そんな兎原さんはどう思うのでしょうか。
通常的に考えれば、やはり小路のその才能に嫉妬することでしょう。
そして、その嫉妬が具現化されたのが『私が明日ちゃんだったら東京の学校に行ってたかも』という言葉だったのではないでしょうか。
小路や兎原さんが通う学校は田舎にある有名私立中学校。
そんな田舎という限られた人しか存在しない閉鎖的な空間ですら努力しなければ友達を作れない兎原さん。
彼女が東京の学校に行くことになれば、間違いなく多くの人に飲まれることになるでしょう。
一方、学校中の誰もを虜にしてしまうほどのポテンシャルを持つ小路。
そんな彼女であれば、東京という多くの人が行き交う街でも持ち前のポテンシャルで多くの人を魅了することができるでしょう。
努力をしてでも友達を作りたい兎原さんにとってみれば、小路のそのポテンシャルは願ってもない才能で、そこまでのポテンシャルを兎原さんが持っているのならば、きっとより多くの人を魅了できる東京の学校に行くことにするでしょう。
だから、兎原さんはそんな願ってもない才能を持つ小路に対して、『私が明日ちゃんだったら東京の学校に行ってたかも』などという言葉を掛けたのではないでしょうか。
こういった努力が才能に勝てないなどという経験というのは人生においてよく訪れることだと思います。
そして、多くの人はその事実に不貞腐れ、努力することを諦め、嫉妬心に身を任せて「才能がある奴はー」などと僻み混じりの悪態をつき始めます。
しかし、努力家の兎原さんは才能を持つ小路に嫌な顔一つ見せず、全力で明るく振る舞っていました。
もちろん、その顔には呆気にとられたような苦笑いを浮かべており、影にはどことなく諦めの気持ちもあったように感じます。
それでも彼女は笑顔を崩しはしませんでした。
私はそんな彼女の姿に『真の努力家』の姿勢を見ることができ感化されました。
確かに、才能の前にかかれば『努力』という二文字は無力で虚しいものなのかもしれません。
その現実に打ちのめされた時、「才能がー」と言い訳だけを残し、辛く苦しい努力を怠ることができるのなら、それだけ楽なことはありません。
人間というのは弱い生き物ですから、そうして楽な方にと不貞腐れたくなる気持ちも分かります。
しかし、冷静になって不貞腐れた自分を見つめると、残されているのは憎悪に塗れた己の姿だけで、その姿は才能の前に破れた時以上の虚しさが募ります。
もちろん、才能という壁がある現実に目を向けるというのは、努力をより虚しくさせ、己をより辛く苦しくさせる鎖になるかもしれません。
しかしながら、才能に屈して努力を怠る虚しい姿をさらけ出す、そんな人間に自ら成り下がることが最善の策と言えるのでしょうか。
少なくとも、私はそんなみすぼらしい姿をした自分を見たくはありません。
だからこそ、必要になってくるのは兎原さんのような姿勢なのではないかと思うのです。
兎原さんは小道の才能を目の前にしているにも関わらず、笑顔を絶やさぬよう尽力しました。
通常であれば嫉妬心に占領されて不貞腐れたくなる場面でも彼女は耐え忍び、以降も友達の世話を焼き続けたのです。
つまり、彼女は才能という壁を認めた上で彼女なりに努力を続けているのです。
先も言ったように、人間というのは弱い生き物で、現実から目を逸らし、辛く苦しいことから逃げ、楽な方にと向かっていこうとします。
なので、『才能という壁を認める』というのは並大抵の話ではなく、かなり辛く苦しいものにはなると思います。
ただ、兎原さんのように努力を続けることができたなら、そこに映るのは虚しさだけの自分ではなく、兎原さんのような魅力ある人間になれるのではないでしょうか。
確かに、それは天性のものほどではないかもしれません。
しかし、小道の失敗を見て兎原さんが学んだように、努力することで才能とは違う別の輝きを手に入れることができ、別の方向で魅力的な人間になれるのだと思います。
私はそうした努力することの意義を兎原さんから学べたような気がします。
ということで、今回はアニメ『明日ちゃんのセーラー服』から兎原さんについてお話いたしました。
冒頭にもお伝えした通り、本作品は非常に作画もよく、フェチズムにも富んだ、本当によくできた作品だと思います。
そして、そんな作品には本作品な主人公・小道や今回のお話の主人公・兎原さんなど、個性豊かなキャラクターたちも出てきます。
是非、興味のある方はご覧になってはいかがでしょうか。
それでは。
さて、今回はここで終わらせていただきます。
今後もこういった趣味のお話や私の独り言をブログに記していきますので、気に入っていただけたら再び足を運んでくれたら嬉しいです。
それでは、皆さんまたお会いしましょう。
さようならー。
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