リリック
少しの未練と膨らむ不安を 掻き消すように急ぐ
大きな鞄に荷物をまとめて 家の鍵も閉めずに
見飽きてたこの街と 嫌になった人生
背を向け電車飛び乗る 遠ざかる影になって
最期の場所へと向かう 片道切符のこの旅も
終着駅ではもう 思い出になるのかな
窓の外流れる 見た事もない街の景色
けれど変わらぬ夕暮れ空に思い出す あの日の記憶
鳴るはずもない携帯片手に握りしめ 画面とにらめっこ
暗い液晶 映し出したのは 情けない自分の姿
揺れる電車の中 まどろみかけた時
今目の前に広がる 青い海 潮の香り
最期の場所へ向かう 片道切符のこの旅の
途中駅で拾った物 意味なんてあるのかな
いつの間にか 人も疎らになって
街は闇の中 そっと 夢へ落ちてく
目を開ければ手にしてた 乗り換え自由のフリーパス
終着駅を決めるのは 自分だと気付いた
最期の場所へと向かう 片道切符の旅だったけど
続く線路 未来乗せて 鈍行で何処までも
自分の未来はいつも 自分の手の中にあって
手にしてきたことはきっと 無駄になんてなりやしないから
いづれ望まぬとも旅は終わる それまで焦らず進もう
何処までも続く線路に 未だ見ぬ明るい未来乗せて
インスト音源 / コード譜 配布
制作者コメント
皆さん、おはこんばんにちは。
雨宿時雨と申します。
さて、第四弾目となりました新曲『終末旅行は鈍行列車で。』は如何でしたでしょうか。
前作、前々作とsynthesizerVのボーカルを起用させていただきましたが、今回は第一作目『逃避行ドライブ』と同様にNEUTRINOのボーカルを起用させていただきました。
ボーカルに引っ張られてか、曲のテイストも仄かに『逃避行ドライブ』に似たような仕上がりになりましたが、MIX含め曲全体の仕上がりは格段に上がったように思います。
”曲のテイスト”と言えば、似ても似つかぬ仕上がりではありますが、イメージとしてはmihimaru GTさんを思い浮かべて制作していた節があります。
女性ボーカルと男性ラッパーの二人組という点が想起しやすいかと思います。
ただ、mihimaru GTさんで言う所のhirokoさんの立ち位置となる女性ボーカル音源として適切な声の持ち主がNEUTRINO内にはいなかったので、一番成立しやすそうなボーカル音源・めろうを使用させていただくことになりました。
目指していたイメージとは少し違った着地点にはなりましたが、おかげで透き通るようなクリーンな楽曲にはなりました。
そんな本楽曲『終末旅行は鈍行列車で。』のテーマですが、タイトルにもある通りに「電車」がモチーフとなりました。
私の思考回路を想定できる方ならお気づきかと思いますが、今回の楽曲は電車に乗った際に思い付いた楽曲となります。
以前、私のYouTubeチャンネルにてvlog形式の動画をアップした事があるのですが、その際に使用していた青春18切符を制作構想当時に再度購入し、一週間強の旅行を決行いたしました。
決行するに至った経緯としてあったのが、何も進展しない環境に嫌気が差したという動機です。
そんな環境を打破すべく、とにかく遠くへ行こうと青春18切符を購入し電車へ飛び乗りました。
特別旅の予定を決めていた訳ではなかったので、何を考えるでもなく適当に沿岸沿いを走り続けることにしました。
そうして列車に揺られ続ける中で私の中では様々な事柄が頭を過り、その度に問答しては答えが出ずに曖昧にして闇へ葬り去っていました。
その葬り去った先に必ず行き着く先が「このまま消えてしまいたい」という感情です。
縁起でもない事を承知で正直に言えば、恐らく電車ないし海へ飛び込む事も飲まず食わずで餓死する事も、どのような方法であってもこの旅の中で完結させることが出来たと思います。
つまり、この旅は私の中で私の人生の終末旅行でもあったわけです。
しかし、そうした感情というのはあまり長続きもしません。
よく言う話ですが、自殺者の大半は突発的な衝動に駆られて実行する方が多いそうです。
結果として私も一週間余りの長旅の末についに決行することはありませんでした。
とは言え、そう簡単には消えてくれないのが「消えてしまいたい」という感情。
電車に揺られ続けている私の中に居座り続けていました。
そんな中、次の目的地を決めあぐねていた私。
最終的な終着駅は決めていたものの、先ほども言ったようにルートまでは決めていませんでした。
そういう時には路線図をと電車内の路線図に目を通していると、案外様々な線路が張り巡らされている事に気付きます。
今まで何も考えず盲目的に沿岸沿いを走っていた当時の私には、一つ新鮮な出会いだったようにも思います。
そうして別の路線を使うことを決めた私。
同時にある一つの考えも浮かびます。
それこそが今回の新曲『終末旅行は鈍行列車で。』の内容です。
様々な線路が張り巡らされている電車。
確かに一つの路線だけを使えば決められた終着駅が存在しますが、乗り換えを幾度も繰り返せば決められた終着駅はある意味存在しないのと同義です。
だからこそ、何処で降りるのか、言わば終着駅は何処にするのかを自分自身が決めることが出来ます。
それは人生においても同じことが言えると思います。
自分自身で人生を降りてしまうことも出来るけれど、見渡せば考えもしなかったような様々な道が存在しています。
勿論、その道は偏狭な地の線路のように険しい道のりになるかもしれません。
しかして、バスでも徒歩でも乗り換えるルートは幾らでも存在しており、何処を人生のゴールとするのかは自分自身で決めることが出来ます。
そうでなくとも、人生という旅は自分が望まぬともいつか必ず終焉を迎えます。
それこそ一つの路線だけを使って終着駅に到着するように必ず最期が訪れます。
無論、旅路が険しく辛く苦しい為に途中下車した駅を自身で終着駅とすることも出来ますし、特急列車や快速列車に乗るように大忙しで人生を摩耗することも出来ます。
ただ、わざわざ特急列車や快速列車を使って生き急ぐくらいならば、一度普通列車でゆっくり進行してみるのも手のように思います。
何故ならば、特急列車でも快速列車でも普通列車でも行き着く先はどれも同じだからです。
そうしたことが本楽曲『終末旅行は鈍行列車で。』の中では綴られています。
特に最後の男性パートの歌詞に注目していただけると分かり易いかと思います。
その歌詞の中には「手にしてきたことはきっと無駄になんてなりやしない」という文章も綴らせていただきました。
これは飽くまで私の一つの願いですが、このように思っていれば人生の突発的な乗り換えも怖くないような気がしますので、皆さんにも是非願っていただけたら幸いです。
是非新曲『終末旅行は鈍行列車で。』をお聞きいただいて、前向きな気持ちになってみてください。
さて、今回はここで終わらせていただきます。
是非ご感想をお聞かせいただけたら幸いです。
それでは、皆さんまたお会いしましょう。
さようならー。
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